サイモン・ウィーゼンタール・センター副館長
エブラハム・クーパー師 (通訳:徳留絹枝)
2000年2月17日 衆議院第二議員会館
本日は、「恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟」の皆様からご招待を頂き、このようにお話しできますことに、心から感謝申し上げます。
今日、皆様と私を引き合わせたものは何なのでしょうか。共通の言葉でしょうか。いいえ、私は有能な通訳がいなければ皆様と対話を持つことはできません。共通の文化でしょうか。いいえ、私達は共に野球を愛し、最新技術に魅せられ、同様のファッションを追いかけたりはしますが、それぞれの持つ文化の違いは、私達の間に横たわる太平洋ほど深いものです。それでは共通の宗教でしょうか。いいえ、今日お集まり頂いた皆様の中にユダヤ教信者の方がいらっしゃるとは思えません。
私が、今日こうして皆様と共におりますのは、サイモン・ウィーゼンタール・センターと寛容の博物館を代表する私が、私達の間にあるさまざまな違いを超越したところで私達が共有している普遍的真実があるはずだということを、信じているからです。そしてその真実こそは、私達全員の将来にとって最も重要な鍵であると信じるからです。
ユダヤの賢人は、記憶の中に再生への可能性が秘められ、忘却の中に破滅への道が潜んでいると説きました。確かに、歴史の真実を知ることは必ずしも快い体験とは限りませんし、何かを保障するものでもありません。
今世紀は、ユダヤ人にとって、祖国を持つという2000年来の夢が叶った時代でした。1950年生まれの私は、同世代の何千人という若いユダヤ人と同様、聖なる地イスラエルでモーゼの伝統を学ぶという機会に恵まれました。しかし同時に、今世紀のユダヤ人の体験は、そのような輝かしい出来事以上に暗い出来事で、新しい命の息吹ではなく民族の絶滅のイメージで、希望ではなく恐怖で彩られていたと言えると思います。アウシュビッツ・トレブリンカ・マイダネックといった土地の名前、或いはヒトラー・アイヒマン・メンゲレといった人物の名前を耳にするだけで、ホロコーストの生還者は、犠牲となった600万人の愛する者達の亡霊を垣間見るのです。そしてその中には、150万人の子供達が含まれていました。私達の世代がそれらの名前によって掻き立てられる感情は、怒りであり、不安であり、時としては叶うことのない復讐への欲求でさえあります。
そうであればこそ、本当に長い年月、自由主義諸国の政治指導者達が、ユダヤ人指導者達が、そして親や教師達が、同じアドバイスを与え続けてきたのです。…もう過去のことは忘れよう。許し忘れて、未来に向かおうと。…
たった一人を除いて誰一人、ナチスによるユダヤ人絶滅計画がやがてカンボジアやイラク・ルワンダ・そしてユーゴスラビアでの大量虐殺に繋がっていくことを、考えた人間はいませんでした。このたった一人のホロコースト生還者がいなかったなら、世界はホロコーストの悲劇を忘れていたかもしれません。しかしサイモン・ウィーゼンタールは、決して世界にホロコーストを忘れさせはしませんでした。彼は、決して次の世代の若者に憎しみを引き継ぐことをさせなかったのです。