Dreams Never Dreamed

 

この本は、昨年エルサレムに訪問しインタビューさせて頂いたカルマン・サミュエルズ師が、世界最大級の障がい児施設 Shalva を開設するまでの体験を綴った著書です。

以下は、昨年インタビューを基に書いた記事

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

障がい児施設 Shalva を訪ねて

徳留絹枝

今年5月、テルアビブで開催された国際歌謡コンテスト「ユーロビジョン」で、障がいを持つ若者で構成された Shalva Band が世界中の人々を感激させた。(コンテストを勝ち抜いていたが、リハーサルが安息日にかかり辞退。セミファイナルに特別出演した。)

Shalva Band は、エルサレムにある障がい児施設 Shalva のミュージックセラピーの一環として結成された。今ではイスラエル国内はもちろん、世界の場で演奏する人気グループに成長した。Shalvaは、ヘブライ語で「心の平安」を意味する。

1990年、たった6人の障がい児のためにスタートした Shalva は、今や、知的・身体障がいを持つゼロ歳児から成人まで二千人に、多岐にわたるサービスを提供する世界最大の施設になった。親を対象としたプログラムもあり、障がいを持って生まれた子供の育児に戸惑う親に希望を与えることを目指す。幼稚園プログラムは、教育者・ソーシャルワーカー・セラピストが一緒に作り上げるクラスで、健常児との交流もある。学童児の放課後リハビリ・レクリエーションクラスは、スポーツ・ドラマ・アート・音楽・水泳など、施設内のコートやプールを利用してのプログラムだ。そして青少年に達した者には、調理師などへの職業訓練を提供する。(訪問時に私がお茶を頂いた喫茶店でも卒業生が働いていた。)各種セラピーは、最新の学術的成果を取り入れた内容で、研究者にとってもフィールドワークの場になっているという。

Shalva 設立者のカルマン・サミュエルズ師にお話しを伺った。

私はカナダのバンクーバーで生まれました。ユダヤ系ですが、宗教はそれほど身近に感じずに育ちました。1970年、大学1年を終えた段階で、フランスで哲学を学ぶために留学することになりました。途中イスラエルに寄ってみてはという母の勧めで、夏休みの2週間をイスラエルで過ごすことにしました。そして私はフランスへは行かず、それどころかカナダにも帰らなかったんです。イスラエル滞在中に訪れたキブツやそこで出会ったラビに大きな影響を受け、結局7年間イスラエルで学び、ラビになりました。その間妻となる女性と出会い、結婚しました。

私たちの二人めの子供のヨシは、11カ月の時に受けた予防接種に問題があり、視力と聴力を完全に失ってしまいました。知人の多くが、施設に預けてはと助言してくれましたが、妻と私はこの子を自宅で世話すると決心しました。

私たちはヨシに心からの愛情を注いで育てましたが、暗闇と沈黙の世界に閉じ込められた彼には私たちとコミュニケートする術がなく、妻は夜よく泣いていました。

奇跡が起こったのはヨシが8歳の時でした。視聴覚障がい専門のセラピストが、ヨシの手のひらにテーブルを表わすヘブライ語のスペリングをなぞっていると、彼は突然、その意味(彼が触っている物体の名前だということ)を初めて理解したのです。ヘレン・ケラーが水とその名前を理解した瞬間と同じでした。

その日を境に、ヨシの世界は一気に広がりました。他の教師が教科を教え、数年後にヨシは、知的には普通の10歳の子供になったのです。

そんなある日、妻が私を座らせて語り始めました。「神様は奇跡を起こしてくれた。私はかつて、ヨシを助けてくれるなら、私と同じような状況におかれた母親を助けることに自分の余生を捧げる、と神様に約束していた。今こそそれを始めるときだと思う。」

妻は、障がい児のために放課後プログラムを開きたかったのです。(子供たちは午前中は特別養護学校に通う)私たちはアパートを借り、近隣のそのような子供6人を対象にクラスを開始しました。やがて、人づてに私たちのクラスを知った障がい児の親が次々にやって来たので、隣のアパートも借り、プログラムはどんどん拡大していきました。最終的には、400人もの子供たちにサービスを提供するようになったのです。

2005年、イスラエル政府が私に相談に来ました。国が7エーカー(東京ドームの6割の広さ)の土地を提供するので、私たちが続けて来たプログラムをさらに多くの子供に提供して欲しいというのです。それで私たちは新しい Shalva センター建設に取り組むことになりました。国は10憶円の建築費用を出してくれましたが、残りの55億円はファンドレイジングしなければなりませんでした。また隣接するホテルが障がい児の施設建設に反対し、その問題を解決するのに5年もかかり、結局完成したのは10年後でした。

妻と私が何より目指したのは、inclusion という思想です。Shalva のサービスは、基本的に申し込み順で無料提供され、人種・宗教・家族の経済状況などによる差別は全くありません。裕福な家庭は任意で寄付をすることができますが、それによって彼らの子供を特別扱いすることはしません。

Shalva では今400人の職員が働き、この種の施設では世界最大です。世界から毎年5万人の見学者がやってきます。

息子のヨシは43歳になり、独立してコンピューター関連の会社で働き、人生を楽しんでいます。

      ブッシュ大統領を訪問したヨシさんとサミュエルズ師

振り返ってみると、私にとって一番辛かったのは、彼が11か月で視力・聴力を失った時、我が子のために自分が何もしてあげられないという無力感でした。だからこそ、セラピーを通して奇跡的に彼の世界が開けた時、妻と私は、同じような障がいを持つ子供たちとその親を支援し希望を与えるために、余生を捧げようと決心したのです。

それにしても人間の運命というものを感じます。私が、フランスに留学する前にイスラエルに立ち寄らなかったら、深い宗教心を持っていたわけでもないカナダの若者が、宗教心の深いイスラエルの女性と出会って結婚することはなかったでしょう。そして息子のヨシに何も起こらなかったら、今の私はないのです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

サミュエルズ夫妻の固い信念の実現には、世界のユダヤ人コミュニティからの支援があった。彼の故郷バンクーバーのユダヤ人篤志家や、ロサンゼルスのサイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)理事夫妻が、これまで多額の寄付をしてきたという。現在は世界各地に Shalva の支援団体があり、その活動を支えている。

因みに今回のインタビューは、SWC  副所長エブラハム・クーパー師にアレンジして貰ったのだが、サミュエルズ師と SWC 設立者所長マーヴィン・ハイヤー師との繋がりは50年以上も前に遡るのだという。バンクーバーのシナゴーグに着任したばかりの20代の若いラビだったハイヤー師が、初めてバーミツバ(ユダヤ人男子が13歳になった時の儀式)を司ったのが、サミュエルズ少年だったからだ。

サミュエルズ師のマリキ夫人のアイデアが全館に取り入れられたというShalvaは、正面がガラス張りで隅々まで陽光が差し込み、この施設で働くスタッフに多くのカップルが生まれて結婚したというエピソードが示すように、愛に溢れた場所だ。

インタビューが終わると、サミュエルズ師は、つい数日前に出たばかりだという彼の著書『Dreams Never Dreamed』を下さり、私がヘブライ語を読めないことを知りながらも、記念に受け取って欲しいと言った。英語版は来年初めに出るそうだが、日本でもShalvaの活動が知られ、障がい児教育に関心を持つ人々が訪問するようになって欲しい。

                             Shalva設立者 カルマン・サミュエルズ師と筆者 

*この記事を書いた後、Shalva  Band は米国に演奏旅行に行きトランプ大統領のためにも歌いました。