UNRWA の改革を訴えて31年:デヴィッド・べディーン氏の闘い

徳留絹枝

エルサレムにあるデヴィッド・べディーン氏の事務所には彼の31年間の闘いの歴史が詰まっているようです。それほど広くないその部屋は、彼自身が埋もれてしまうほどの資料やファイルや本が溢れていますが、きっとそれらはコンピュータでデータを処理保存できる前の時代のものなのでしょう。

デヴィッド・べディーン氏と筆者

1970年に20歳でアメリカからイスラエルに移住してきた彼は、ソーシャルワークの修士号を持ち、オバマ大統領がその呼び名に市民権を与える前から、コミュニティ・オーガナイザーとして活動してきました。1987年、外国人特派員にイスラエルに関する正確な情報を提供するプレスセンターを開設し、同時に Center for Near East Policy Research を設立しました。その目的は、政策決定者やジャーナリストそして一般市民に、複雑なイスラエル・アラブ関係への洞察を提供することで、調査結果報告ビデオを数多く発表してきました。CNNやアメリカの新聞の特派員を務めた時代もあり、国連や欧米の議会でも証言してきました。

べディーン氏が最も力を入れて取り組んできたのは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が抱える問題を指摘することでした。イスラエル建国により発生した約70万人のパレスチナ難民を支援するため1949年に設立されたこの機関は、70年が経過し、現在は、子供・孫・ひ孫の世代まで550万人近くに膨れ上がった人々を対象に活動しています。しかしべディーン氏は、若い頃ソーシャルワーカーとしてパレスチナ難民が置かれた劣悪な状況に直接触れ、長い間UNRWAの活動をモニターしてきた結果、この国連機関がしていることは、難民を助けるのではなく彼らを永久に難民のまま留め続けていることだと確信するようになりました。

UNRWAの活動は、全て国際社会からの寄付で実施されてきており、年間予算総額は1200億円にもなります。活動の中でも教育が最も大きな割合を占め、予算の54%が投じられますが、そこで教えられるのは平和でもイスラエルとの共存でもありません。子供たちは、70年も前に彼らの親や祖父母や曾祖父が後にし、今はイスラエル国となった地にいつかは帰れるという偽りの夢を与えられ、「どんな手段でも、必要とあれば武力によってでも帰還しなければならない」と教えられてきました。

UNRWAには日本も毎年寄付してきており、昨年は支援国の中で7位となる約45億円を拠出しています。(支援国と支援額リスト)

これまで支援総額の約30%はアメリカが拠出してきましたが(昨年度は370億円)、今年、永遠に増え続ける難民を支援し続けることはできないとして、支払いを停止しました。それを受けてUNRWAは国際社会に緊急の寄付を呼びかけ、欧州諸国や日本などがそれに応じ支援を約束しています。 “UNRWA の改革を訴えて31年:デヴィッド・べディーン氏の闘い”の続きを読む

Lone Soldier CenterにてJoshua Flasterさんとのインタビューの感想

~イスラエルの姿を、自分の目で見てみる~

杉中亮星

ジョージア共和国(旧グルジア)で日本語を教え、専門が日本語教育とジョージア語の僕ですが、今まで外国の人々と交流できる縁が多くあり、アジア、欧州、エジプトやモロッコなどの中東の国にもよくメッセージをする友達がいます。イスラエルにも1人友達がいて、毎日インターネットで話をしていますが、彼女の国についてもっと深く知りたいと思っていました。

海外からイスラエルへ移住し、イスラエルのために軍に入隊したLone Soldierに直接会って話を聞く機会を頂いたのは、今年9月の下旬でした。24歳の僕と同世代の若者たちが、どうして母国を離れ、Lone Soldierとしてイスラエルに行こうとするのか、ぜひ話を聞きたいと思い、ジョージアからイスラエルへ飛ぶことを決めました。

ユダヤ教の新年を大統領夫人と参謀総長夫人と祝うlone soldiers
By Tomer Reichman (תומר רייכמן) / GPO Israel, CC BY-SA 3.0,    https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=63353512

 

Lone Soldier Centerはエルサレム市内の細い路地の間にあり、見つけるのに少し苦労しました。外の階段から二階に上がったところにLone Soldier Centerがありました。インターフォンを鳴らし出迎えてくれたのが、その日インタビューに応じていただいたJoshua Flasterさんでした。彼自身も、アメリカからイスラエルに来たLone Soldierの1人です。暖かい笑顔でセンター内を案内してくれました。大きな部屋に、食器が積み重なるキッチン、洗濯機など大家族が住んでいるような雰囲気がセンターにはありました。

ソファに座り、Joshuaさんはセンターの歴史や、どうして自分がイスラエルに来ることを決めたのか、Lone Soldierとしてどのような道を歩んできたかを話してくれました。

Joshuaさんがイスラエルに来て、Lone Soldierとしてイスラエルのために生きることを決めたのは、ちょうど僕の年齢の頃だそうです。アメリカで大学を卒業し、そのままなら不自由ない生活が送れたであろう道から、イスラエルのために何かするために移住する道を選びました。入隊して訓練に励む一方で、ヘブライ語習得やイスラエルの文化に慣れるということは、簡単なことではないと僕は感じましたし、Joshuaさん自身、大きな挑戦だったと言いました。しかし、自分の決断を後悔したことは一度もなかったと語ってくれました。

僕が彼の立場にいたら、よほどイスラエルに対する思いが強くない限り、そのような決心はできないだろうと、インタビューをしながら心の中で感じました。

話を聞いている最中に、センターに他のLone Soldierの若者も入ってきました。「みんな、Lone Soldierとして、故郷を離れ、イスラエルに来たんだ」と教えてくれるJoshuaさんの言葉を聞きながら見てみると、それこそ、僕と同じ、または、それより年下の人たちもいました。彼たち・彼女たちも、Joshuaさんと同じく、深く考え抜いた末に、イスラエルに来る決心をしたのかと思いました。一見すると、僕と同じ年頃ですが、それぞれの胸には、後悔することなく自分が決めた道を歩もうとする強い意志を感じました。兵士として生きることは怖くないのか、そう考えている時にJoshuaさんがこう言ってくれました。

「私にも、3人の子どもがいるんだ。今の状態が続く限り、イスラエルを守らないといけない。でも、争いがなくなって、若い人たちが兵役などにつかなくていい時代が来て欲しいよ。」

イスラエルに滞在したのは、二日間という短い期間でした。しかし、その二日間でメディアや書籍からでは見えなかったイスラエルの姿を少し垣間見ることができたと思います。また、自分が守りたいもののために、故郷を離れイスラエルに来るという、年齢も僕とあまり変わらない若者がいることも知りました。

JoshuaさんもLone Soldierとして、誇りを持っていることもインタビューで感じました。インタビュー中、国境沿いでの銃の使用など、争いのことに関してかなりデリケートな内容の質問もしました。もしかしたら、僕の質問が彼の気持ちを害するのではないかと思っていました。でも、Joshuaさんは、「私は、正直な質問に、正直に答えることができて良かった。本当に話を聞いてくれて嬉しかったよ」と後日メールで伝えてくれました。

僕には、イスラエルにも中東の他の国にも友達がいます。イスラエルはどうするべきか、中東の他の国々はどうするべきか、何が正しいか、何が間違いなのかを問うのではなく、まず友達が住んでいるそれぞれの国のことを、メディアや本だけでなく、自分で見て、聞いて、感じることの大切さを感じました。そして、Lone Soldier の存在を知ることができたのも、自分が何ができるかは分からないが、とりあえず自分で知ろうとする姿勢があったからこそだと思います。いつか、僕も、友達のために何かできることが来る日を信じ、今後も、自分で知ろうとする姿勢を忘れずにいこうと思います。

Israeli Hospital Treated Enemy Patients

Kinue Tokudome*

(A slightly shorter version of this article  in Japanese was published by WebRonza)

Ziv Medical Center

Sefed is a city in Northern Israel with a population of 35,000, having close borders with Lebanon to the North and Syria to the East. Its history goes back all the way to the Biblical times. Crusaders built a massive fortress in the Middle Ages, and during the 16th Century it became a center of Kabbalah, the mystical school of thought of Judaism. Since the 1920s, Jewish residents and Arab residents were in constant clashes, and in the fierce battle in the War of Independence in 1948, Jews took control over the city. Young Mahmoud Abbas fled with his family from Safed to Syria at that time. Despite many wars that have been fought upon it, this beautiful city overlooking the Sea of Galilee in the South has been a popular place for many artists.

Ziv Medical Center located in Safed treated almost 1,500 wounded or sick Syrians in the past five and a half years. They came to the Israeli border with the desperate hope of getting medical treatment that was no longer available in their civil war-torn country. It became known as Israeli Defense Forces’ “Operation Good Neighbor.” With Syria’s Assad regime regaining its control over the border area, the operation ended this summer.


Ziv Medical Center in Safed overlooking the Sea of Galilee in the South
(photo: from the website of Ziv Medical Center)

Recently, Rabbi Abraham Cooper, Associate Dean of the Simon Wiesenthal Center, Mrs. Cooper, and I had the opportunity to visit this hospital and listen to the two doctors who explained to us what took place.

Meeting with us were the Director of Ziv, Dr. Salman Zarka, and the Director of the Neonatal Intensive Care Unit, Dr. Eric Shinwell. Dr. Zarka grew up in a Druze family not far from Sefed and served in the Israel Defense Forces (IDF) for 25 years. Until assuming the position of Ziv’s Director four years ago, Colonel Zarka was the head of the Medical Corps of the Northern Command of IDF. Dr. Shinwell received his medical education at Queen’s College in England.

Author, Dr. Salman Zarka, Dr. Eric Shinwell and Rabbi Abraham Cooper

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米議会は人間の盾利用のテロリストに挑め

エブラハム・クーパー
サイモン・ウィーゼンタール・センター
Associate Dean, Director of Global Social Action Agenda

戦争が起こると、必ず罪のない一般市民も犠牲になります。しかし、軍が自軍の兵を弾丸から守るために民間人を人間の盾として使うことは、文明国家と国際法(1949年のジュネーブ条約・1977年の追加議定書・1998年の国際刑事裁判所ローマ規程)支持者からすると、戦争犯罪以外の何ものでもありません。

第二次世界大戦時、ヨーロッパやアジアでは、枢軸国が軍人を守り反乱分子を根絶するため、人間の盾を使用したとして非難されました。また、負けると分かりながら日本軍が戦った沖縄戦でも一般市民が激しい戦闘に使われ、10万以上の沖縄市民が亡くなりました。

サッダーム・フセインは、人間の盾の利用レベルを格段に高めました。1990-1991年の湾岸戦争前夜、フセインは、他の国からのロケット攻撃を防ぐため、西側諸国の市民を人間の盾として捕らえました。多くの捕虜たちがフセインと面会しているところを映像として映され、彼への直接攻撃を避けるために移動を共にさせられました。またある者は、軍施設や産業地域の近くに監禁されました。

最近では2016年に、ISISがファルージャにて捕虜たちを人間の盾として利用し始めました。Fox Newsによると、盾として使われたのは何百もの家族、つまり、地域に住む人すべてだったということです。USA Todayは、ISISのテロリストは、何組かの家族を病院に監禁していたとも報道しています。また、イラク政府と国連は、ファルージャでは少なくとも5万人の罪のない市民が捕らわれていたと推定しています。

このような歴史があるからこそ、今回米議会に提出された法案が重要なのです。共和党のテッド・クルーズと民主党のジョー・ドネリー両上院議員は、ヒズボラ・ハマス・パレスチナのイスラム系ジハード、ナイジェリアのボコハラムやその他テロリストグループによる人間の盾使用に対抗するため、最近では本当に珍しくなった超党派による法案を提出しました。

なぜ、今そのような法案が必要なのでしょうか。そして、それがどのような結果をもたらしてくれるのでしょうか。

ここまで例として取り上げてきた人間の盾は、どれも、戦いが激化した際や、抗戦での最後の悪足掻きとして使われてきました。

しかし現在の私たちは、人間の盾の使用を戦略の重要な柱と考える、イランに支持されたテロリストグループとの戦いに挑んでいます。この数か月、ハマスは、ガザとイスラエルの境界線で繰り広げる暴動に子どもたちを使用してきました。イスラエルの兵士が現場へ駆けつけ、子どもたちを見つけたとき、一瞬子どもたちを標的とすることに躊躇います。この罠により、すでにイスラエルの一人の兵士が犠牲になりました。

間もなく退官する米国連大使のニッキー・ヘイリーは、安全保障理事会や国連総会でハマスを非難してきました。しかし、国連加盟国は彼女と異なり、ハマスではなく、いつもイスラエルを非難するのです。これではハマスに、もっと多くの子どもたちを犠牲にさせるだけです。死んだ子供のイメージは、ソーシャル・メディアに使うには最適だからです。

イスラエルとの戦いの最初の頃、ハマスは、市民のインフラを利用してきました。国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)の学校にミサイルを貯蔵し、イスラエルに向けて発射するための場所として使いました。子供たちが砲弾の餌食となる中、ハマスは、市民の病院を格好の隠れ家として使用しています。そして、パレスチナの子どもたちは、イスラエルへ続くトンネルを掘らされている最中に命を落としているのです。

またユダヤ国家との戦いに備えて、UNRWAの学校で勉強する学生は、夏休みの間、実弾を使った訓練を受けています。やがて殉教者になる時はできるだけ多くのイスラエル兵を道連れにするために。

レバノン南部の状況はさらに深刻です。

ヒズボラは、レバノン南部の各地に10万を超えるロケットと軍の施設を散りばめています。これらの地域のすべてには、一般市民が生活をしています。イスラエル北部を攻撃しながら、レバノンの市民の間での犠牲を増やすことが、戦略です。国境を防衛しようとするイスラエルを非難する国連決議はすでにありますから、ヒズボラにとって、あと必要なのは、罪のない市民たちが犠牲になるストリーミングビデオだけです。

21世紀の今起きているこのような野蛮な出来事を世の中にさらけ出す法案は、歓迎すべきものです。これで国連も、やっと人道的被害を未然に防ぐ行動を始めるか、少なくとも誰がこのような犯罪を犯しているのか気付くのではないでしょうか。

サイモン・ウィーゼンタール・センターは、クルーズとドネリー両議員主導の法案に、民主・共和の両党から支持が増えていることを歓迎します。これだけでも、イスラエルやナイジェリア、そして命の大切さという私たちの価値観を私たちを滅ぼすために利用するテロリストに標的とされた全ての国と、アメリカは共に闘う、と伝える十分なメッセージになるからです。

(日本語訳:杉中亮星)

* クルーズ・ドネリー法案「S. 3257, Sanctioning the Use of Civilians as Defenseless Shields Act」は10月11日上院で可決されました。

先日エルサレムを訪問した杉中亮星さん

日本のBDS運動:日本政府は不支持を明確に

エブラハム・クーパー・徳留絹枝・テッド・ゴーヴァ―

BDS(ボイコット・投資引き上げ・制裁)運動が日本でも起こっています。この組織の日本支部ともいうべきグループは、2020年のオリンピックに向けて日本が世界に手を差し伸べなければならない時に、中東で唯一の民主国家イスラエルを攻撃するという、まるきり反対のキャンペーンを始めました。

BDS運動は、根本的にユダヤ人国家イスラエルの非合法化を目指す国際運動です。署名活動やデモ、時には暴動を通して、個人やビジネスがイスラエルと関わることを止めさせようとします。日本のBDS運動家は以下のような活動をしてきました。

・ホンダイスラエルがイスラエル西岸地区で後援したレースを中止するよう要求

・大丸デパートが開催した「地中海の美食&ワインFair」からイスラエルのゴランワインを除くことを要求。

・日立にエルサレムの市電プロジェクトへの入札を止めるよう要求

・ソフトバンクに、川崎市で開かれたイスラエルセキュリティー見本市のスポンサーから降りるよう要求。

・日本人アーティストにイスラエルでのイベントに参加しないよう要求

日本とイスラエル間の経済活動の拡大に伴い、日本企業がBDSの対象となる事態は増えるでしょう。日本の企業関係者は、この問題にどう対処すべきか指標が必要です。サイモン・ウィーゼンタール・センターは、日本の政治指導者や外務省が、BDS運動に明確に反対すると表明することを願います。

BDSは基本的にイスラエルを罰しようとする活動であり、パレスチナの人々を助ける活動ではありません。パレスチナ人を雇用していたイスラエル系の会社を威嚇して閉鎖させたことさえありました。

日本が、中東で唯一の民主国家イスラエルをボイコットすることは、民主的で自由な社会を標榜してきた戦後日本の価値観にそぐいませんし、近年飛躍的に伸びているイスラエルへの投資とも相反する行為です。

日本のBDS活動家は善良な市民で、パレスチナ支援という崇高で正義の活動に従事していると信じているかもしれません。しかし彼らは、この運動の醜悪で欺瞞的性格を理解していないようです。国際BDS運動は、日本での活動がイスラエルボイコットへの明白な支援の表れだとし、彼ら自身のプロパガンダに使ってきました。

日本の市民がイスラエルの対パレスチナ政策を批判することは自由ですが、BDS運動に参加する意味を正確に知る必要があります。残念なことに、これらの人々は、イスラエルがパレスチナ人を迫害していると休みなく伝える、日本メディアによる長年の偏向報道の犠牲者と言えます。彼らは、米国・英国・ドイツ・フランス・カナダなどの民主国政府が、BDS運動を反ユダヤ的活動と認めていることを、日本の報道から知ることはありません。

さらには、BDS運動が「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」などのテロ組織から支援を受けている事実も、日本では報道されていないでしょう。PFLPは、1972年ロッド空港(現ベングリオン空港)で日本赤軍が26人を殺害した事件の首謀者でした。

BDS運動は差別的で反ユダヤ主義的活動です。日本は、イスラエルとの経済活動を拡大させる一方で、イスラエルの合法性を否定しようとするBDS運動には反対せずにいる、ということはできません

BDS運動が日本に深く根付く前に、日本の指導者はそれを止めるべきです。これまで日本が地道に続けてきたパレスチナへの建設的な支援と、近年安倍首相が率先して築いたイスラエル・日本間の友好が、今後さらなる成果を生み出すためにも。

*エブラハム・クーパー師はサイモン・ウィーゼンタール・センター副館長
*徳留絹枝とテッド・ゴーヴァ―はセンターのアドバイザー

この記事とほぼ同内容の英語版はAsia Timesに掲載されました。