Budo for Peace

Spreading the Message of Peace Through Japanese Martial Arts:
Mr. Danny Hakim, Founder and Chairman of Israeli NGO, “Budo for Peace

Kinue Tokudome

Original Japanese version was published on WebRonza on Feb. 20, 2019.

Budo for Peace

Karate Dojo in the Bedouin village of Abu Kweder

“Ichi, Nee, San (1, 2, 3),” I hear children’s excited voices from a karate dojo (studio) in a village of Abu Kweder located in the Negev Desert in Israel. In this small Bedouin village, which has no electricity, an Israeli NGO called Budo for Peace (“BFP”) runs a karate program for children. I visited this location with its founder, Mr. Danny Hakim, who holds a 7th degree black belt of Shotokan Karate, to observe a lesson. Teaching children was Hazem Abu Kweder sensei (Japanese word for teacher) who holds a 4th degree black belt. He has been teaching karate for 12 years under the BFP program and now teaches approximately 500 students at 7 dojos.

Until recently, this village did not even have a road connecting it to a main highway. All the children welcomed us with infectious smiles. A 10-year-old Kazuki Kawai, the son of Japanese Embassy’s Cultural Attaché Shion Kazuki who accompanied us, joined the lesson easily, fitting in with the Bedouin children. Mr. Hakim joined as a sensei, and about 40 children, age 6 to 18, participated in the lesson following Japanese shouts, “Rei (bow), Hajime (start), and Yame (stop).” It was obvious that their courteous manners and self-assuredness were a result of the karate lessons. This was Mr. Hakim’s vision.

Children of  Abu Kweder village practicing karate

Mr. Hakim came from a prominent Jewish family that immigrated from Egypt to Australia in the 1950s. Although growing up in a far away place from his ancestral homeland, he was a devoted Zionist. A life-changing moment came when his grandmother gave a gift, a year-long lesson of karate, on his Bar Mitzvah. He excelled in karate and moved to Japan in his 20s to receive more advanced lessons. There he met his life-long sensei (teacher) Master Hirokazu Kanazawa, the founder of Shotokan-do International Federation. Mr. Hakim represented Australia, Japan and Israel in numerous international karate tournaments and became a two-time world karate silver medalist.  “Budo for Peace”の続きを読む

Life saved and life that will be saved: Trip to Israel

Kinue Tokudome

(A longer  Japanese version was published in the October 2016 issue of Ushio.)

The phrase that concludes Passover, “Next year in Jerusalem,” has been my wish since twenty years ago. At that time, I was interviewing people for my book on the Holocaust. I met people who devoted their lives to telling the history and lessons of the Holocaust, such as the legendary Nazi hunter Simon Wiesenthal, Chicago Mercantile Exchange Chairman Leo Melamed who was saved by a visa issued by Japanese diplomat Chiune Sugihara, and Congressman Tom Lantos who was the only Holocaust survivor to serve in the US Congress.

         

Mr. Simon Wiesenthal                        Congressman Tom Lantos

Some of them became my close friends. For them, Israel, especially Jerusalem, was a very special place. They used to ask me, “When are you going to Jerusalem?” And I would always answer, “Soon, I promise.” Then, I began working on the issues relating to American POWs of the Japanese during WWII and years just went by.

It was my meeting with Mayor Isamu Sato of Kurihara City, Miyagi prefecture, Japan that finally led to my visit to Israel. I came back to my hometown in the same prefecture two years ago and learned that Mayor Sato had helped the Israeli medical team that came to Minamisanriku, a town almost swept away by the tsunami in 2011, to assist victims. I decided to pay him a visit. Mayor Sato shared with me the fascinating stories of his having lived in a kibbutz in his early 20s and having promised that he would work to promote Japan-Israel friendship. Forty some years later, he would deliver on that promise.  “Life saved and life that will be saved: Trip to Israel”の続きを読む

欧州反ユダヤ主義反シオニズム主義を越えて:デビッド・ハリス氏の訴え

以下は、2018年11月21日にウィーンで開催された国際会議「Europe beyond anti-Semitism and anti-Zionism – securing Jewish life in Europe」における、AJC (米国ユダヤ人協会) CEO デヴィッド・ハリス氏の発言です。

ご本人の許可を得て、日本語に訳しました。

先ず二つのことを申し上げたいと思います。

一つは個人的なことですが、私たちに何がしかの希望を与えてくれると思いますので、ご紹介します。私がここにニューヨークから持参したのは、父の名誉博士号証書で、10代の彼が1936年から1938年にかけて「重水素原子の合成」に関するリサーチを行ってから、実に40年後にこのウィーンで授与されたものです。父は、ナチスによるオーストリア併合と水晶の夜の後(ウィーンの)化学研究所から追放され、その後恐怖の7年間を過ごしましたが、それを説明する時間は今日はありません。40年前の1978年、私は迷いながらもこのウィーンにやってきました。父は警告したのですが、私は、“Let my people go”の 呼びかけに応え、ユダヤ人のソ連出国を支援する運動に参加したのです。私はそこで、自らの過去と未だに向き合えていないオーストリアを発見しました。そして2018年の今日、私たちは、(クルツ)首相がヨーロッパ初の反ユダヤ主義・反シオニズムに関する会議と呼んだこの会に集まりました。私たちがインスピレーションと希望の拠り所を探すとき、父のこの証書はそんなインスピレーションと希望を与えるのではないかと思います。

次にお話ししたいのは、2000年に私が家族と一緒に、一年のサバティカルでスイスに住んだ時のことです。その年こそ、私たちが、ヨーロッパの地に反ユダヤ主義が再出現するのを目撃し始めた時期でした。2000年以来私たちAJCが、殆ど休眠状態にあったヨーロッパに目覚めてもらうため、各国指導者と持った何千回もの会合について皆さんに説明し始めれば、何時間もかかってしまうでしょう。なぜなら私たちは最初から、反ユダヤ主義に立ち向かうためには、言葉だけでもユダヤ人社会からの行動だけでも駄目で、教育や警察や司法や情報収集といった政府の力やリソースを味方に付けなくてはならないことを、理解していたからです。政府の協力なしでは、私たちにできることは限られていました。

私たちは、反ユダヤ主義・反シオニズム問題はユダヤ人の問題ではないことも、訴えました。標的はユダヤ人ですが、これはヨーロッパの問題なのです。ヨーロッパが守るべき人間の尊厳を、根本的に脅かす問題です。今回もし反ユダヤ主義が広がっても、私の父や母がオーストリアや占領下のフランスに居た時代と違い、ユダヤ人には行く場所があります。でもヨーロッパがこの挑戦に立ち向かわなかったら、ヨーロッパはどこに行くのですか。 “欧州反ユダヤ主義反シオニズム主義を越えて:デビッド・ハリス氏の訴え”の続きを読む

UNRWA の改革を訴えて31年:デヴィッド・べディーン氏の闘い

徳留絹枝

エルサレムにあるデヴィッド・べディーン氏の事務所には彼の31年間の闘いの歴史が詰まっているようです。それほど広くないその部屋は、彼自身が埋もれてしまうほどの資料やファイルや本が溢れていますが、きっとそれらはコンピュータでデータを処理保存できる前の時代のものなのでしょう。

デヴィッド・べディーン氏と筆者

1970年に20歳でアメリカからイスラエルに移住してきた彼は、ソーシャルワークの修士号を持ち、オバマ大統領がその呼び名に市民権を与える前から、コミュニティ・オーガナイザーとして活動してきました。1987年、外国人特派員にイスラエルに関する正確な情報を提供するプレスセンターを開設し、同時に Center for Near East Policy Research を設立しました。その目的は、政策決定者やジャーナリストそして一般市民に、複雑なイスラエル・アラブ関係への洞察を提供することで、調査結果報告ビデオを数多く発表してきました。CNNやアメリカの新聞の特派員を務めた時代もあり、国連や欧米の議会でも証言してきました。

べディーン氏が最も力を入れて取り組んできたのは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が抱える問題を指摘することでした。イスラエル建国により発生した約70万人のパレスチナ難民を支援するため1949年に設立されたこの機関は、70年が経過し、現在は、子供・孫・ひ孫の世代まで550万人近くに膨れ上がった人々を対象に活動しています。しかしべディーン氏は、若い頃ソーシャルワーカーとしてパレスチナ難民が置かれた劣悪な状況に直接触れ、長い間UNRWAの活動をモニターしてきた結果、この国連機関がしていることは、難民を助けるのではなく彼らを永久に難民のまま留め続けていることだと確信するようになりました。

UNRWAの活動は、全て国際社会からの寄付で実施されてきており、年間予算総額は1200億円にもなります。活動の中でも教育が最も大きな割合を占め、予算の54%が投じられますが、そこで教えられるのは平和でもイスラエルとの共存でもありません。子供たちは、70年も前に彼らの親や祖父母や曾祖父が後にし、今はイスラエル国となった地にいつかは帰れるという偽りの夢を与えられ、「どんな手段でも、必要とあれば武力によってでも帰還しなければならない」と教えられてきました。

UNRWAには日本も毎年寄付してきており、昨年は支援国の中で7位となる約45億円を拠出しています。(支援国と支援額リスト)

これまで支援総額の約30%はアメリカが拠出してきましたが(昨年度は370億円)、今年、永遠に増え続ける難民を支援し続けることはできないとして、支払いを停止しました。それを受けてUNRWAは国際社会に緊急の寄付を呼びかけ、欧州諸国や日本などがそれに応じ支援を約束しています。 “UNRWA の改革を訴えて31年:デヴィッド・べディーン氏の闘い”の続きを読む

Lone Soldier CenterにてJoshua Flasterさんとのインタビューの感想

~イスラエルの姿を、自分の目で見てみる~

杉中亮星

ジョージア共和国(旧グルジア)で日本語を教え、専門が日本語教育とジョージア語の僕ですが、今まで外国の人々と交流できる縁が多くあり、アジア、欧州、エジプトやモロッコなどの中東の国にもよくメッセージをする友達がいます。イスラエルにも1人友達がいて、毎日インターネットで話をしていますが、彼女の国についてもっと深く知りたいと思っていました。

海外からイスラエルへ移住し、イスラエルのために軍に入隊したLone Soldierに直接会って話を聞く機会を頂いたのは、今年9月の下旬でした。24歳の僕と同世代の若者たちが、どうして母国を離れ、Lone Soldierとしてイスラエルに行こうとするのか、ぜひ話を聞きたいと思い、ジョージアからイスラエルへ飛ぶことを決めました。

ユダヤ教の新年を大統領夫人と参謀総長夫人と祝うlone soldiers
By Tomer Reichman (תומר רייכמן) / GPO Israel, CC BY-SA 3.0,    https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=63353512

 

Lone Soldier Centerはエルサレム市内の細い路地の間にあり、見つけるのに少し苦労しました。外の階段から二階に上がったところにLone Soldier Centerがありました。インターフォンを鳴らし出迎えてくれたのが、その日インタビューに応じていただいたJoshua Flasterさんでした。彼自身も、アメリカからイスラエルに来たLone Soldierの1人です。暖かい笑顔でセンター内を案内してくれました。大きな部屋に、食器が積み重なるキッチン、洗濯機など大家族が住んでいるような雰囲気がセンターにはありました。

ソファに座り、Joshuaさんはセンターの歴史や、どうして自分がイスラエルに来ることを決めたのか、Lone Soldierとしてどのような道を歩んできたかを話してくれました。

Joshuaさんがイスラエルに来て、Lone Soldierとしてイスラエルのために生きることを決めたのは、ちょうど僕の年齢の頃だそうです。アメリカで大学を卒業し、そのままなら不自由ない生活が送れたであろう道から、イスラエルのために何かするために移住する道を選びました。入隊して訓練に励む一方で、ヘブライ語習得やイスラエルの文化に慣れるということは、簡単なことではないと僕は感じましたし、Joshuaさん自身、大きな挑戦だったと言いました。しかし、自分の決断を後悔したことは一度もなかったと語ってくれました。

僕が彼の立場にいたら、よほどイスラエルに対する思いが強くない限り、そのような決心はできないだろうと、インタビューをしながら心の中で感じました。

話を聞いている最中に、センターに他のLone Soldierの若者も入ってきました。「みんな、Lone Soldierとして、故郷を離れ、イスラエルに来たんだ」と教えてくれるJoshuaさんの言葉を聞きながら見てみると、それこそ、僕と同じ、または、それより年下の人たちもいました。彼たち・彼女たちも、Joshuaさんと同じく、深く考え抜いた末に、イスラエルに来る決心をしたのかと思いました。一見すると、僕と同じ年頃ですが、それぞれの胸には、後悔することなく自分が決めた道を歩もうとする強い意志を感じました。兵士として生きることは怖くないのか、そう考えている時にJoshuaさんがこう言ってくれました。

「私にも、3人の子どもがいるんだ。今の状態が続く限り、イスラエルを守らないといけない。でも、争いがなくなって、若い人たちが兵役などにつかなくていい時代が来て欲しいよ。」

イスラエルに滞在したのは、二日間という短い期間でした。しかし、その二日間でメディアや書籍からでは見えなかったイスラエルの姿を少し垣間見ることができたと思います。また、自分が守りたいもののために、故郷を離れイスラエルに来るという、年齢も僕とあまり変わらない若者がいることも知りました。

JoshuaさんもLone Soldierとして、誇りを持っていることもインタビューで感じました。インタビュー中、国境沿いでの銃の使用など、争いのことに関してかなりデリケートな内容の質問もしました。もしかしたら、僕の質問が彼の気持ちを害するのではないかと思っていました。でも、Joshuaさんは、「私は、正直な質問に、正直に答えることができて良かった。本当に話を聞いてくれて嬉しかったよ」と後日メールで伝えてくれました。

僕には、イスラエルにも中東の他の国にも友達がいます。イスラエルはどうするべきか、中東の他の国々はどうするべきか、何が正しいか、何が間違いなのかを問うのではなく、まず友達が住んでいるそれぞれの国のことを、メディアや本だけでなく、自分で見て、聞いて、感じることの大切さを感じました。そして、Lone Soldier の存在を知ることができたのも、自分が何ができるかは分からないが、とりあえず自分で知ろうとする姿勢があったからこそだと思います。いつか、僕も、友達のために何かできることが来る日を信じ、今後も、自分で知ろうとする姿勢を忘れずにいこうと思います。