Israeli Hospital Treated Enemy Patients

Kinue Tokudome*

(A slightly shorter version of this article  in Japanese was published by WebRonza)

Ziv Medical Center

Sefed is a city in Northern Israel with a population of 35,000, having close borders with Lebanon to the North and Syria to the East. Its history goes back all the way to the Biblical times. Crusaders built a massive fortress in the Middle Ages, and during the 16th Century it became a center of Kabbalah, the mystical school of thought of Judaism. Since the 1920s, Jewish residents and Arab residents were in constant clashes, and in the fierce battle in the War of Independence in 1948, Jews took control over the city. Young Mahmoud Abbas fled with his family from Safed to Syria at that time. Despite many wars that have been fought upon it, this beautiful city overlooking the Sea of Galilee in the South has been a popular place for many artists.

Ziv Medical Center located in Safed treated almost 1,500 wounded or sick Syrians in the past five and a half years. They came to the Israeli border with the desperate hope of getting medical treatment that was no longer available in their civil war-torn country. It became known as Israeli Defense Forces’ “Operation Good Neighbor.” With Syria’s Assad regime regaining its control over the border area, the operation ended this summer.


Ziv Medical Center in Safed overlooking the Sea of Galilee in the South
(photo: from the website of Ziv Medical Center)

Recently, Rabbi Abraham Cooper, Associate Dean of the Simon Wiesenthal Center, Mrs. Cooper, and I had the opportunity to visit this hospital and listen to the two doctors who explained to us what took place.

Meeting with us were the Director of Ziv, Dr. Salman Zarka, and the Director of the Neonatal Intensive Care Unit, Dr. Eric Shinwell. Dr. Zarka grew up in a Druze family not far from Sefed and served in the Israel Defense Forces (IDF) for 25 years. Until assuming the position of Ziv’s Director four years ago, Colonel Zarka was the head of the Medical Corps of the Northern Command of IDF. Dr. Shinwell received his medical education at Queen’s College in England.

Author, Dr. Salman Zarka, Dr. Eric Shinwell and Rabbi Abraham Cooper

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日本のBDS運動:日本政府は不支持を明確に

エブラハム・クーパー・徳留絹枝・テッド・ゴーヴァ―

BDS(ボイコット・投資引き上げ・制裁)運動が日本でも起こっています。この組織の日本支部ともいうべきグループは、2020年のオリンピックに向けて日本が世界に手を差し伸べなければならない時に、中東で唯一の民主国家イスラエルを攻撃するという、まるきり反対のキャンペーンを始めました。

BDS運動は、根本的にユダヤ人国家イスラエルの非合法化を目指す国際運動です。署名活動やデモ、時には暴動を通して、個人やビジネスがイスラエルと関わることを止めさせようとします。日本のBDS運動家は以下のような活動をしてきました。

・ホンダイスラエルがイスラエル西岸地区で後援したレースを中止するよう要求

・大丸デパートが開催した「地中海の美食&ワインFair」からイスラエルのゴランワインを除くことを要求。

・日立にエルサレムの市電プロジェクトへの入札を止めるよう要求

・ソフトバンクに、川崎市で開かれたイスラエルセキュリティー見本市のスポンサーから降りるよう要求。

・日本人アーティストにイスラエルでのイベントに参加しないよう要求

日本とイスラエル間の経済活動の拡大に伴い、日本企業がBDSの対象となる事態は増えるでしょう。日本の企業関係者は、この問題にどう対処すべきか指標が必要です。サイモン・ウィーゼンタール・センターは、日本の政治指導者や外務省が、BDS運動に明確に反対すると表明することを願います。

BDSは基本的にイスラエルを罰しようとする活動であり、パレスチナの人々を助ける活動ではありません。パレスチナ人を雇用していたイスラエル系の会社を威嚇して閉鎖させたことさえありました。

日本が、中東で唯一の民主国家イスラエルをボイコットすることは、民主的で自由な社会を標榜してきた戦後日本の価値観にそぐいませんし、近年飛躍的に伸びているイスラエルへの投資とも相反する行為です。

日本のBDS活動家は善良な市民で、パレスチナ支援という崇高で正義の活動に従事していると信じているかもしれません。しかし彼らは、この運動の醜悪で欺瞞的性格を理解していないようです。国際BDS運動は、日本での活動がイスラエルボイコットへの明白な支援の表れだとし、彼ら自身のプロパガンダに使ってきました。

日本の市民がイスラエルの対パレスチナ政策を批判することは自由ですが、BDS運動に参加する意味を正確に知る必要があります。残念なことに、これらの人々は、イスラエルがパレスチナ人を迫害していると休みなく伝える、日本メディアによる長年の偏向報道の犠牲者と言えます。彼らは、米国・英国・ドイツ・フランス・カナダなどの民主国政府が、BDS運動を反ユダヤ的活動と認めていることを、日本の報道から知ることはありません。

さらには、BDS運動が「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」などのテロ組織から支援を受けている事実も、日本では報道されていないでしょう。PFLPは、1972年ロッド空港(現ベングリオン空港)で日本赤軍が26人を殺害した事件の首謀者でした。

BDS運動は差別的で反ユダヤ主義的活動です。日本は、イスラエルとの経済活動を拡大させる一方で、イスラエルの合法性を否定しようとするBDS運動には反対せずにいる、ということはできません

BDS運動が日本に深く根付く前に、日本の指導者はそれを止めるべきです。これまで日本が地道に続けてきたパレスチナへの建設的な支援と、近年安倍首相が率先して築いたイスラエル・日本間の友好が、今後さらなる成果を生み出すためにも。

*エブラハム・クーパー師はサイモン・ウィーゼンタール・センター副館長
*徳留絹枝とテッド・ゴーヴァ―はセンターのアドバイザー

この記事とほぼ同内容の英語版はAsia Timesに掲載されました。

UNRWAはパレスチナ難民の再スタートを助けなかった。

エブラハム・クーパー師
マーヴィン・ハイヤー師

UNRRAと UNRWA、よく似た名前です。どちらも難民を救うために設立された国連機関です。一つは役目を終えて閉鎖されました。他方は、一時的であった問題を平和への巨大な障害物に変身させました。

第二次大戦とナチスによる欧州ユダヤ人虐殺が最大規模で行われていた1943年11月、国連(前身)は、枢軸国の攻撃から逃れた難民を支援するRelief and Rehabilitation Administration(UNRRA)という組織を設立しました。大戦終結後、UNRRAとその後継組織 International Refugee Organization (IRO) は、推定1,000万人もの難民を助けました。前例を見ないほどの大規模な人道的危機に、米国はどちらの組織にも最大の寄付国となりました。

ホロコースト生還者25万人あまりが “displaced persons (行き場を失った人々)” と定義され、戦後ドイツで UNRRAが管理する収容所で1947年まで暮らしました。彼らは家族も友人も住む社会も何もかも失った人々でした。地域組織の全ても破壊されていました。ポーランドでは、新しい人生を始めようとするユダヤ人が嫌がらせを受け、ポグロム(ユダヤ人狩り)で殺されることさえありました。生還者は絶望を味わいましたが、その後の全人生を難民でいようと思うほどは、決して絶望していませんでした。彼らは、ユダヤ人国家或いは米国・カナダ・英国・オーストラリアのような安全な民主国家で人生を再構築することで、やがて生まれてくる子供たちの将来を夢見たのです。誰ひとり、国連が彼らと彼らの子供や孫やひ孫まで永久に面倒を見てくれるなどと、期待することはありませんでした。

国連は、ホロコースト被害者と何百万人もの他の難民に対し、国連の支援は一時的なものであることを明確にしていました。戦後ドイツの補償プログラムさえも、ホロコースト生還者のみを対象としたもので、受給者はその資格を証明しなければならなかったのです。被害者としての資格は、誰かに受け継がれるべきものでは決してありませんでした。

世界のユダヤ人は自分たちの責任に気づき、行動を起こしました。American Jewish Joint Distribution Committee は、難民に食品や衣服を与え。ORT (ユダヤ人のための職業訓練団体) は、職業訓練やヘブライ語教育を提供し、Immigrant Aid Society (HIAS) も支援の手を差し伸べました。米国や英国、そしてドイツの英国占領区域には、難民が、アウシュビッツの解放から3年もしないうちに国連がユダヤ人国家として認めたイスラエルに移住できるよう、後押してくれる委員会が存在していました。歴史上最悪の犯罪を生き延びたユダヤ人たちが新しい人生を踏み出し、世界をよりよい場所に変えていく中、UNRRAとIRO は歴史の小さなエピソードとして、あっという間に人々の記憶から消えていったのです。

一方、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、著しく異なる道のりを歩んできました。UNRWAは50万人のパレスチナ難民の人生の再建を助けるのではなく、被害を制度化してしまったのです。UNRWAの設立は国連の二つの決議に基づいています。国連総会決議194は、「故郷にもどり、隣人と平和のうちに暮らす事を希望する難民はそうすることが認められるべき」と定めました。これが、UNRWAの正式な設立を決めた1950年の決議302に繋がりました。UNRWAはそれ以降、パレスチナ難民の問題を解決するのではなく、延々と長期化させてきました。“難民”という地位を、次世代から次世代へと授与していったのです。68年が過ぎ、それは現在530万人のパレスチナ人に奉仕しています。

パレスチナ難民の苦難を軽減するという委託を受けたUNRWAは、しかし実際には、イスラエル人に対する扇動をプロモートし、存在もしない何百万人ものイスラエルへの“帰還権”を強調し(これはユダヤ人国家イスラエルを破壊する)、そしてイスラエルの国さえ描かれていない地図を使ったカリキュラムを採用、といったことを繰り返してきました。彼らの教科書は、(エルサレムの)嘆きの壁や(ベツレヘムの)ラヘルの墓や(ヘブロンの)族長たちの墓などのユダヤ人の最も聖なる場所を、イスラム教のみにゆかりの地であり、ユダヤ人たちが盗もうとしていると教えています。

UNRWAはガザでのテロ活動を手助けしています。2014年の抗争中、テロ用トンネル・武器庫・ロケット発射施設は、ハマスのメンバーが職員で教員組合を支配する学校と連携していました。UNRWAの学校は2018年5月14・15日、イスラエル境界線での暴動に生徒を参加させるため突然休校となりました。それはハマスが、流血の対決として計画したものでした。(実際ハマスは、米大使館のエルサレム移転と合わせて決行されたこれらの暴動で死んだ62人のうち53人はテロリストだったと認めています。)

ガザに住む180万人のうち140万人は、その殆どが本人も父母も祖父母もそこで生まれているという事実にも拘わらず、難民としてUNRWAに登録されています。“難民”の40%はヨルダン国民で、国民としての権利もサービスも全て享受しています。

計算してみてください。これらの人々の80%は難民ではありません。“難民”に関して現在使用されているすべての定義に照らし合わせた結果、米国は、その必要条件を満たしているパレスチナ人は2万人に満たないと結論付けています。

最後に、国連難民高等弁務官事務所は128か国で6千万人の難民を支援していますが、その職員数は7千人です。UNRWAは3万人を雇っています。

デヴィッド・フリードマン駐イスラエル米国大使が先ごろ、米国は今後UNRWAに拠出金は払わないと発表すると、いつもの常連が憤慨し、ドイツ・日本・英国・欧州連合などが先頭に立って救助に駆け付け穴埋めをする、という展開になりました。

トランプ大統領が和平を推し進めるにあたり、フラストレーションの核にあるのはUNRWAです。大統領特別アドバイザーのジャレッド・クッシュナーは、単刀直入で遠慮なく、しかし正確な評価を提供しました。UNRWAは現状を引き延ばし、腐敗し、非能率的で、そして平和に貢献していない、と彼はメールに書きました。

UNRWAに関する限り米国は正しいのです。パレスチナの人々を助ける方法は他にいくらでもあります。現代の難民は、ホロコースト生還者の気概から学べるかもしれません。彼らは、ユダヤ人の同胞と国連機関の支援を受け、驚くほど短期間のうちに被害者という衣服を脱ぎ棄て、廃墟と化した過去から本物の将来を築きあげたのです。

もうアラブ世界とパレスチナ人自身が、生活保護受給者という生業から脱皮し、死を美化するのではなく、生きることを大切にする将来を築く時ではないでしょうか?

*エブラハム・クーパー師はサイモン・ウィーゼンタール・センターの副館長
Global Social Action Agenda 担当責任者
*マーヴィン・ハイヤー師はサイモン・ウィーゼンタール・センター創始者館長

パレスチナ人の隣人への返答

出会いとは不思議なものです。この春、何気なく見たネットのニュースで、ユダヤ人作家がパレスチナ人の隣人に呼びかけた手紙集が、ニューヨーク・タイムズのベストセラーに入ったことを知り、購入することにしました。

筆者は10通の手紙で、イスラエルの地に住むことが彼にとっていかに大事なことか、そしてその地がユダヤ人のものであると確信していることを、誠実に説明していきます。しかし筆者はそこで終わらず、その地にもう一つのグループ、パレスチナ人も住んでいること、彼らもまたその地に住む権利に確信をもっていることを認め、対話を呼び掛けているのです。パラドクスにも聞こえますが、「自分がこの地に住む正当性を100%信じてこそ、初めてそれを“share”できる」という著書の主張が新鮮でした。

奇遇というか、この本を読んだ数日後、著者のハレビ氏の講演会が近所であることが分かり、早速聴きにいきました。本から得ていた印象通り、深い人間性が滲み出た方でしたが、300人近くが来ていて、ゆっくりお話しすることはできませんでした。それで翌週、少し離れた場所で行われる次の講演会にも出かけたのですが、その日は20人位だけの参加で、彼と親しく話すことができました。

その後、ハレビ氏とメールをやりとりするようになり、来月はエルサレムにお訪ねすることになりました。“Letters to My Palestinian Neighbor” は、日本語版が出ると聞いていますが、このような人物の声がもっと日本に伝わって欲しいと願います。                                                                                                        徳留絹枝

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パレスチナ人の隣人への返答
ヨシ・クレイン・ハレビ

(以下は、パレスチナ人作家の Raja Shehadeh 氏による私の著書 “Letters to My Palestinian Neighbor”の書評への返答です。書評は私への手紙の形で、8月26日の New York Times Book Review に掲載されました。その全文は、末尾にリンクしました。)

Raja へ

あなたの本に初めて出会ったのは、1980年代に私がイスラエルに移住してすぐの頃でした。占領下での生活を強烈に描いた『Samed: Journal of a West Bank Palestinian』は私を深く感動させ、抗争に関する私の理解を形成する助けになりました。

あなたの業績が私にとって本当に大切なものだったからこそ、パレスチナの人々に、100年にわたる抗争を私たちの側がいかに体験し理解しているかを、説明しようとする私の試みを、あなたが有無を言わさず退けてしまったことに、私はことさら失望しました。私が『Letters』を書いたのは、自分自身の体験から、“他の側”から書かれた本がいかに“共感”を育むのに大きな助けになり得るかを、私自身が知っていたからです。“共感”こそは、私たちが和解をするために欠かせないものだと信じます。

共感或いは理解は、同意を意味するものではありません。私の意図は、あなたが書かれたような、平和の前提条件として、ユダヤ人の苦難と解放の物語を受け入れて貰うために、パレスチナの人々をシオニストに変えることではありませんでした。私は本の中で、どちらの側もそれぞれの物語を捨て去ることはできないし、すべきでもない、私たちはそれぞれのストーリーによって自らを定義する人々なのだと、繰り返し書きました。あなたの本は、私の人々の物語をあなたのそれで置き換えることはありませんでした。しかしあなたは、私が、延々と自己言及する物語から抜け出て、異なる視点に目を開くことを助けてくれたのです。

平和の前提条件は、私たちが、相手が存在する権利―この地に独立国家として存在する権利-を否定することを止めることです。

私は、1948年或いは1967年に何が起こったのかに関する私の物語を、パレスチナの人々が受け入れることは期待していません。しかし私は、この地に4千年の繋がりを持つ民族としての私たちのアイデンティティを、パレスチナの人々が否定し続ける限り、平和が叶うとも思えないのです。

あなたは、イスラエル人の友人を持ち、彼らの視点を理解しようと真摯に試みたことがあると、書いています。でも大部分のパレスチナの人々にはこれまで、そのような機会はありませんでした。その代わり、彼らがパレスチナのメディアから絶え間なく聞かされるのは、ユダヤ人の歴史には何一つ正当性は無い、という否定です。パレスチナ人がユダヤ人に関して “知っている”ことは、私たちの祖先がこの地にいたとでっちあげ、考古学上の証拠を捻じ曲げ、神殿の丘(Haram el Sharif )にユダヤ教の神殿があったと嘘をついている、ということだけです。それが、あなたたちの公共の場で語られる、標準的で疑問の余地もない、私たちの物語なのです。

私は、私の本を読んだ何人かのパレスチナ人から、感動的な感想を受け取りました。彼らは、イスラエルに関する深い批判と共に、パレスチナ人にもユダヤ人の存在の正当性と折り合いをつける時が来ている、と書いていました。しかし、彼らのほとんど全員が、報復を恐れ、私が彼らの名前を公表しないよう懇願していました。今日パレスチナ社会において、この土地は二つのグループに帰属し、抗争は二つの正当な物語の間のものであり、ユダヤ人は離散から帰還した原住民だと、公に発言することはできるのでしょうか?

あなたは皮肉交じりに書いています。「貴君がここで正そうとしているのは、貴君の歴史と宗教そしてこの地に対する繋がりに関する、私たちの無知だということですね。」同時にあなたは、あなたの本がヘブライ語に訳されてきたことにも、言及しています。私は、パレスチナ人作家の本がイスラエル内で出版されることは、絶対に必要だと考えています。でもそのプロセスは、一方通行であるべきなのでしょうか? 私は自分の本を、あなたがご自分の本をヘブライ語に訳されたのと同じ理由で、アラビア語に訳して自費出版してきました。相手に、自分側の現実を垣間見る機会を提供するためです。これこそが、作者にとっての基本的な責任だと、私には思えます。

私たちユダヤ人の正当性を否定するという、政治的立場を超えたパレスチナ人の組織的国家的運動としてのキャンペーンは、イスラエル国民に破壊的な影響を及ぼしてきました。「いったいどうして、私たちが存在する権利そして私たちの歴史への権利さえ拒絶する国家運動と、平和を構築することなどできるのか?」とイスラエル人は自問します。パレスチナの人々がユダヤ人の隣人について知らないという問題に取り組むため、私は、なぜ占領が終わらないかに関する核心に迫ろうとしました。イスラエル人が抱くパレスチナ人の意図への恐怖です。

あなたは、パレスチナ人の願いとして「私たちの多くが望むのは、イスラエルが占領地から撤退し、私たちの生き方を放っておいて欲しい、ということだけだ。」と書いています。 Raja 、問題は、殆どのイスラエル人はそれを信じていないということなのです。パレスチナの国家運動が、占領をイスラエルの存在そのものと同一視する限り、パレスチナのメディアがテルアビブを “入植地” と呼ぶ限り、イスラエル人は、西岸にできる国の平和的意図を信用することはないでしょう。

私たちの間の力関係が不均衡なことを、私は十分に承知していますし、それが私の本の出発点でもあります。しかし、解決に向けて進むためには、殆どのイスラエル人がその不均衡な力関係が抗争の原因ではなく結果であると認識していることを、理解する必要があるのです。

Raja、私はあなたの占領者ではなく隣人になりたいのです。私はこの本を、その目的に向けたささやかな貢献として書きました。パレスチナの人々の中から真の相互承認を基にした2国家解決に賛成する声を引き出したいという願いから、そして益々懐疑的そして悲観的になりつつあるイスラエル国民に、1967年境界線における私たちの正当性を受け入れる用意があるという声があなたの側にあるということを証明するために、書いたのです。イスラエルのアイデンティティの正当性を否定し続けることは、抗争を深刻化させ占領を長引かせるだけです。

イスラエル人が抱く治安への恐れは、私たちを、占領がもたらす倫理的な影響に率直に向き合う責任から免除するわけではありません。でも占領はパレスチナの知識人を、平和への心理的障害を取り除く責任から免除もしていないのです。

Raja、私はいかなる場所でも、いかなる聴衆の前ででも、あなたと並んで立ち、占領の終結とイスラエルの受け入れに繋がる相互理解と承認という、基本的な原則を主張する用意があります。

あなたは私の手紙が、「答えを求めているようには読めず、むしろ、おとなしく聞くことだけを求められた相手に向けた、不完全な対話かレクチャーのようだ。」と書いています。

もちろん私は、パレスチナの人々が読んでくれることを期待して書いたのです。でもそれ以上に期待したのは、返答してくれるパレスチナ人を見つけることでした。それが、あなたの返事を対話の始まりの可能性ととらえることにした、理由です。

最後に、私の本がパレスチナの若者にとって、かつてあなたの本が私にしてくれたように、自分の声に忠実でありつつ隣人の声を聴く助けとなることを、期待しています。

Yossi より

* New York Times Book Review に掲載されたRaja Shehadeh 氏の手紙
* ハレビ氏の返答の英語オリジナル

日本は中東で果たす重要な役割を明確に

エブラハム・クーパー師
テッド・ゴーバー博士

     

日本は過去25年にわたり、中東で重要な役割を果たしてきたが、それは主に、ヨルダン川西岸地区とガザに住むパレスチナ人の経済・社会発展への支援を通して、なされてきた。

日本が1993年以来、公衆衛生・経済成長・農業・教育・難民支援などのプロジェクトを通してパレスチナに貢献してきた額は1700億円にものぼる。これらの重要な支援活動は、20年余にわたり多くのパレスチナ人の生活の質を向上させることを助けてきた。

それに加えてこの数年は安倍晋三首相の指導と率先の下、日本の経済的・地政学的活動は飛躍的に拡大し、それは日本とイスラエル両国の安全保障と経済利益に寄与してきた。安倍首相のヤド・ヴァシェム国立ホロコースト記念館での歴史的スピーチも、世界のユダヤ人コミュニティーと日本の間の信頼レベルを高めることを助け、中東におけるさらに大きく、かつバランスのとれた日本の役割への、期待を膨らませた。

しかし、安倍首相が近年ベンジャミン・ネタニヤフ首相に示した友好姿勢が歓迎すべきものである一方、それは、国連における日本の対イスラエル公式ポリシーとは、鋭く対立するものである。入植地、境界線論争、今も続くガザでの対立などの幾つかの問題における日本の公けの外交姿勢は、日本ともイスラエルとも価値観を共有しない政権の姿勢に、より近いものである。

安倍首相のイスラエルへのポジティブな取り組みと、日本外務省のイスラエルに対する近視眼的で時には攻撃的でさえある政治的姿勢の、際立った違いには困惑させられる。外務省は、安倍首相のユダヤ人国家イスラエルに対する新しい前向きな取り組みに関して、首相官邸からまだ説明を受けていないのだと考える者がいても、責められないだろう。

外務省のイスラエルに関する立場は、日本とイスラエルが共に民主・自由市場経済国家として、利益と価値を共有している事実と、相容れないと気づくことも重要である。例えば、発展しつつある両国の商業関係を見てみよう。最初は低調なところからスタートしたが、近年は、日本とイスラエル企業間、特にハイテク、サイバーセキュリティー、健康・観光分野での関係は大きく開花している。

共通の脅威と敵対国に対峙している日本とイスラエルは、地政学的利害も共有している。北朝鮮による日本人拉致の犯罪と、日本領空を越えるミサイル発射は広く知られているが、ピョンヤンはまた、何十年にもわたり多くの方法でイスラエルに対抗してきた。

これらの地政学上そして安全保障上の現実を鑑みる時、日本の外務省が、敵対する隣国とテロ組織に囲まれた独立国家イスラエルが日々受けている挑戦を、あまりにも頻繁に無視することに、憂慮を覚える。

日本政府は、イスラエルが置かれた危険な地政学的状況と、今この地域で起こりつつある大きな変化を理解する立場にあるべきだと思える。例えば日本は、イスラエルが自国領土の一部とみなすゴラン高原を、係争中の地域ではなく、シリアのアサド大統領のものとみなし続けるべきなのだろうか。

日本の外交官が国連人権理事会において、国際的に認められた国境を自国の平和なコミュニティを狙うテロ襲撃から守ろうとするイスラエルを糾弾することは、正しいのだろうか?日本は、国連人権理事会の前身である国連人権委員会で1996年に慰安婦問題に関して提言をした報告者を直ちに退け、つい最近の2014年に至るも彼女の報告を書き変えさせようとした。しかし日本は、国際的に認められた国境を防衛しようとするイスラエルには、何としても抗議せざるを得ないと感じたという。

そうは言っても日本の外務省は結局、自国の領地と領海 ― 韓国と領有権を争う独島/竹島、中国との釣魚島/尖閣島、ロシアとの南クリル/北方領土など ― が侵されてはならないことに関しては、正しく信じている。日本の指導者は、中国とロシアの爆撃機が頻繁に日本の領空に侵入したり、中国の潜水艦が沖縄近海に入ってくることも、当然憂慮している。

外務省の国連におけるイスラエルに対する相も変らぬ姿勢は、日本の納税者に害を及ぼしていることも知られなければならない。

日本政府の何十年にもわたる寛大な国際支援は称賛されるべきだが、この3月に国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に拠出された23億5千万の支援金は、ハマスにコントロールされた教師が、パレスチナの子供たちに殉教(テロ行為)を称え、教科書にはイスラエルの地図さえ全く無いカリキュラムを用いて教育してきたと伝えられる組織に、流れているのだ。

日本の人々は、世界中の平和を支援し続けるにあたってさえ、彼らの施しの受領者の中には、ハマスのように、日本人の価値観を共有していない者もいることに気づかなければならない。

外務省は、安倍首相がイスラエルと成し遂げた画期的な成果をさらに積み上げ、日本がこれまで出遅れた分を追いつかなければならない。日本とイスラエルの人々をより近づけるため、安倍首相は懸命にそして勇気をもって立派な仕事をしてきたが、イスラエル国家に対する不公平で、時代遅れで、最終的には日本のビジネスの機会(ユダヤ人とアラブ人が共に利益を得るエルサレムの巨大プロジェクトへの著名日本企業の入札を含む)を損ねるネガティブな政治姿勢を持つ外務省は、安倍政権の何の役にも立っていない。

友好国とパートナーの間では意見の違いと政策の違いは必然的に起こるものだが、今こそ日本の外務省が、安倍首相のリードに従い、イスラエルとその隣国に対するもっと実践的で公平なアプローチを採用すべき時が来ている。

*エブラハム・クーパー師はサイモン・ウィーゼンタール・センター副館長
*テッド・ゴーバー博士はサイモン・ウィーゼンタール・センターのアドバイザー

オリジナルは Asia Times 7月29日掲載        (日本語訳:徳留絹枝)

Algemeiner  7月30日掲載版には、以下の点も付け加えられました。

― 北朝鮮が1973年の第4次中東戦争時、反イスラエル国側に航空機と人員を提供したこと。シリア・イランなどのイスラエル敵国に、武器、化学・生物兵器、核兵器技術を売ったこと。

― 日本の人々にとって平和・遊び・美のシンボルである凧が 今回はハマスのテロ行為に使われたこと。パレスチナの若者が火炎物を取り付けて飛ばした凧は、イスラエル南部三か所の森林を破壊し、5千エーカーを焼き尽くした。