UNRWA の改革を訴えて31年:デヴィッド・べディーン氏の闘い

徳留絹枝

エルサレムにあるデヴィッド・べディーン氏の事務所には彼の31年間の闘いの歴史が詰まっているようです。それほど広くないその部屋は、彼自身が埋もれてしまうほどの資料やファイルや本が溢れていますが、きっとそれらはコンピュータでデータを処理保存できる前の時代のものなのでしょう。

デヴィッド・べディーン氏と筆者

1970年に20歳でアメリカからイスラエルに移住してきた彼は、ソーシャルワークの修士号を持ち、オバマ大統領がその呼び名に市民権を与える前から、コミュニティ・オーガナイザーとして活動してきました。1987年、外国人特派員にイスラエルに関する正確な情報を提供するプレスセンターを開設し、同時に Center for Near East Policy Research を設立しました。その目的は、政策決定者やジャーナリストそして一般市民に、複雑なイスラエル・アラブ関係への洞察を提供することで、調査結果報告ビデオを数多く発表してきました。CNNやアメリカの新聞の特派員を務めた時代もあり、国連や欧米の議会でも証言してきました。

べディーン氏が最も力を入れて取り組んできたのは、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が抱える問題を指摘することでした。イスラエル建国により発生した約70万人のパレスチナ難民を支援するため1949年に設立されたこの機関は、70年が経過し、現在は、子供・孫・ひ孫の世代まで550万人近くに膨れ上がった人々を対象に活動しています。しかしべディーン氏は、若い頃ソーシャルワーカーとしてパレスチナ難民が置かれた劣悪な状況に直接触れ、長い間UNRWAの活動をモニターしてきた結果、この国連機関がしていることは、難民を助けるのではなく彼らを永久に難民のまま留め続けていることだと確信するようになりました。

UNRWAの活動は、全て国際社会からの寄付で実施されてきており、年間予算総額は1200億円にもなります。活動の中でも教育が最も大きな割合を占め、予算の54%が投じられますが、そこで教えられるのは平和でもイスラエルとの共存でもありません。子供たちは、70年も前に彼らの親や祖父母や曾祖父が後にし、今はイスラエル国となった地にいつかは帰れるという偽りの夢を与えられ、「どんな手段でも、必要とあれば武力によってでも帰還しなければならない」と教えられてきました。

UNRWAには日本も毎年寄付してきており、昨年は支援国の中で7位となる約45億円を拠出しています。(支援国と支援額リスト)

これまで支援総額の約30%はアメリカが拠出してきましたが(昨年度は370億円)、今年、永遠に増え続ける難民を支援し続けることはできないとして、支払いを停止しました。それを受けてUNRWAは国際社会に緊急の寄付を呼びかけ、欧州諸国や日本などがそれに応じ支援を約束しています。

しかし毎年何万人も増え続ける難民を、何世代にも渡って永久に国際社会からの寄付で生かしていくことが真の解決なのか、べディーン氏は問い続けてきました。彼は、UNRWAの閉鎖を求めるのではなく、パレスチナ難民の為に、以下のような改革が必要と訴えています。

1.“平和は教育から始まる”と宣言する国連教育とは相容れない、聖戦・殉教・“武力によって帰還する権利”を基にしたUNRWAの戦争カリキュラムを停止すること。

2.UNRWAが運営する全ての学校で民兵訓練を停止すること。平和教育を掲げる国連機関が、その敷地内での武力訓練を許すことは言語道断である。

3.UNRWAは、テロ組織メンバーを雇用するいかなる機関への寄付も禁じる欧米諸国の規則に従い、ハマスと繋がりのある職員を解雇すること。

4.1948年の戦争から数えて4世代目5世代目になる難民の定住を促進するため、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR) の基準をUNRWA に適用すること。これらの人々は70年もの間、難民として留め置かれてきた。現在のUNRWA政策は、いかなる定住も1948年以前のアラブ地域に“帰還する権利”を妨げる、というものだ。UNRWA はパレスチナ過激主義の政治スタンスを取ることで、パレスチナ難民の福祉と未来への取り組みを自ら放棄している。

5.蔓延が報告される無駄遣いや重複事業、ガザにおけるUNRWAの事業を牛耳ってきたテロ組織への資金の流出の問題に取り組むため、68か国から拠出される寄付金の監査を要求すること。

べディーン氏の訴えは長い年月、関係者から無視されてきたそうですが、最近になり、彼の発言に耳を傾け、問題の深刻さを認識する人々が増えてきたということです。またパレスチナの学校で使用される教科書の内容を専門家に調査・評価させた詳細な調査結果も、米国やイスラエルのメディアで取り上げられました。それらの教科書は、子供たちが小さい頃からユダヤ人への憎しみを植え付け、ユダヤ人を殺害したパレスチナのテロリストを英雄と称え、ユダヤ人と聖地エルサレムとの歴史的繋がりを否定し、祖先の地に如何なる手段に訴えても帰還することを教えていました。べディーン氏は先日、サイモン・ウィーゼンタール・センター副所長のエブラハム・クーパー師と国連で記者会見を開き、UNRWAが運営する学校の問題点を訴えたばかりです。

クーパー師、パレスチナの人権活動家 Bassam Eid 氏、べディーン 氏

パレスチナを支援する人々は往々にして、自治政府やハマスの指導者たちの主張をそのまま繰り返しているように見えますが、自分たちは安全で不自由のない暮らしをしながら、劣悪な環境で暮らすパレスチナ人(特に若者)に、殉教を称え不可能な帰還を駆り立てる彼らより、べディーン氏の方がよほどパレスチナの人々のことを考えているように思えます。

米国が支援を停止したこと、さまざまな問題が明るみに出始めたことで、閉鎖の可能性も含めてUNRWAのあり方が、今後益々議論されていくでしょう。日本を始め欧州諸国や豪・カナダそして中東の産油国など、パレスチナの人々を支援したいという国々の姿勢は人道的に立派なものだと思います。しかし、べディーン氏が31年をかけて闘ってきたように、何が本当の支援になるのかを、深く考える時がきているのではないでしょうか。

因みに、パレスチナがテロ行為を完全に停止し、ユダヤ国家としてのイスラエルを認めれば、ガザの沿岸に巨大な商業都市を建設することに投資してもよい、という国際的投資グループもいるということです。ガザは中東のシンガポールになれるはずだという声はよく聞きますが、何より、パレスチナの人々も国際社会からの寄付でこの先何代も生きていくより、自分たちの未来は自分たちが努力して築き、尊厳を持って生きたいのではないでしょうか。

べディーン氏が代表を務めるCenter for Near East Policy Research が制作した、UNRWAのキャンプで暮らす子供達のビデオ。彼らの言葉が悲しいですが、その責任は、間接的にはUNRWAの問題を無視してきた寄付国にもあると言えます。

https://www.youtube.com/watch?v=DsVU2cYgQQI&feature=youtu.be

UNRWAはパレスチナ難民の再スタートを助けなかった。

エブラハム・クーパー師
マーヴィン・ハイヤー師

UNRRAと UNRWA、よく似た名前です。どちらも難民を救うために設立された国連機関です。一つは役目を終えて閉鎖されました。他方は、一時的であった問題を平和への巨大な障害物に変身させました。

第二次大戦とナチスによる欧州ユダヤ人虐殺が最大規模で行われていた1943年11月、国連(前身)は、枢軸国の攻撃から逃れた難民を支援するRelief and Rehabilitation Administration(UNRRA)という組織を設立しました。大戦終結後、UNRRAとその後継組織 International Refugee Organization (IRO) は、推定1,000万人もの難民を助けました。前例を見ないほどの大規模な人道的危機に、米国はどちらの組織にも最大の寄付国となりました。

ホロコースト生還者25万人あまりが “displaced persons (行き場を失った人々)” と定義され、戦後ドイツで UNRRAが管理する収容所で1947年まで暮らしました。彼らは家族も友人も住む社会も何もかも失った人々でした。地域組織の全ても破壊されていました。ポーランドでは、新しい人生を始めようとするユダヤ人が嫌がらせを受け、ポグロム(ユダヤ人狩り)で殺されることさえありました。生還者は絶望を味わいましたが、その後の全人生を難民でいようと思うほどは、決して絶望していませんでした。彼らは、ユダヤ人国家或いは米国・カナダ・英国・オーストラリアのような安全な民主国家で人生を再構築することで、やがて生まれてくる子供たちの将来を夢見たのです。誰ひとり、国連が彼らと彼らの子供や孫やひ孫まで永久に面倒を見てくれるなどと、期待することはありませんでした。

国連は、ホロコースト被害者と何百万人もの他の難民に対し、国連の支援は一時的なものであることを明確にしていました。戦後ドイツの補償プログラムさえも、ホロコースト生還者のみを対象としたもので、受給者はその資格を証明しなければならなかったのです。被害者としての資格は、誰かに受け継がれるべきものでは決してありませんでした。

世界のユダヤ人は自分たちの責任に気づき、行動を起こしました。American Jewish Joint Distribution Committee は、難民に食品や衣服を与え。ORT (ユダヤ人のための職業訓練団体) は、職業訓練やヘブライ語教育を提供し、Immigrant Aid Society (HIAS) も支援の手を差し伸べました。米国や英国、そしてドイツの英国占領区域には、難民が、アウシュビッツの解放から3年もしないうちに国連がユダヤ人国家として認めたイスラエルに移住できるよう、後押してくれる委員会が存在していました。歴史上最悪の犯罪を生き延びたユダヤ人たちが新しい人生を踏み出し、世界をよりよい場所に変えていく中、UNRRAとIRO は歴史の小さなエピソードとして、あっという間に人々の記憶から消えていったのです。

一方、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)は、著しく異なる道のりを歩んできました。UNRWAは50万人のパレスチナ難民の人生の再建を助けるのではなく、被害を制度化してしまったのです。UNRWAの設立は国連の二つの決議に基づいています。国連総会決議194は、「故郷にもどり、隣人と平和のうちに暮らす事を希望する難民はそうすることが認められるべき」と定めました。これが、UNRWAの正式な設立を決めた1950年の決議302に繋がりました。UNRWAはそれ以降、パレスチナ難民の問題を解決するのではなく、延々と長期化させてきました。“難民”という地位を、次世代から次世代へと授与していったのです。68年が過ぎ、それは現在530万人のパレスチナ人に奉仕しています。

パレスチナ難民の苦難を軽減するという委託を受けたUNRWAは、しかし実際には、イスラエル人に対する扇動をプロモートし、存在もしない何百万人ものイスラエルへの“帰還権”を強調し(これはユダヤ人国家イスラエルを破壊する)、そしてイスラエルの国さえ描かれていない地図を使ったカリキュラムを採用、といったことを繰り返してきました。彼らの教科書は、(エルサレムの)嘆きの壁や(ベツレヘムの)ラヘルの墓や(ヘブロンの)族長たちの墓などのユダヤ人の最も聖なる場所を、イスラム教のみにゆかりの地であり、ユダヤ人たちが盗もうとしていると教えています。

UNRWAはガザでのテロ活動を手助けしています。2014年の抗争中、テロ用トンネル・武器庫・ロケット発射施設は、ハマスのメンバーが職員で教員組合を支配する学校と連携していました。UNRWAの学校は2018年5月14・15日、イスラエル境界線での暴動に生徒を参加させるため突然休校となりました。それはハマスが、流血の対決として計画したものでした。(実際ハマスは、米大使館のエルサレム移転と合わせて決行されたこれらの暴動で死んだ62人のうち53人はテロリストだったと認めています。)

ガザに住む180万人のうち140万人は、その殆どが本人も父母も祖父母もそこで生まれているという事実にも拘わらず、難民としてUNRWAに登録されています。“難民”の40%はヨルダン国民で、国民としての権利もサービスも全て享受しています。

計算してみてください。これらの人々の80%は難民ではありません。“難民”に関して現在使用されているすべての定義に照らし合わせた結果、米国は、その必要条件を満たしているパレスチナ人は2万人に満たないと結論付けています。

最後に、国連難民高等弁務官事務所は128か国で6千万人の難民を支援していますが、その職員数は7千人です。UNRWAは3万人を雇っています。

デヴィッド・フリードマン駐イスラエル米国大使が先ごろ、米国は今後UNRWAに拠出金は払わないと発表すると、いつもの常連が憤慨し、ドイツ・日本・英国・欧州連合などが先頭に立って救助に駆け付け穴埋めをする、という展開になりました。

トランプ大統領が和平を推し進めるにあたり、フラストレーションの核にあるのはUNRWAです。大統領特別アドバイザーのジャレッド・クッシュナーは、単刀直入で遠慮なく、しかし正確な評価を提供しました。UNRWAは現状を引き延ばし、腐敗し、非能率的で、そして平和に貢献していない、と彼はメールに書きました。

UNRWAに関する限り米国は正しいのです。パレスチナの人々を助ける方法は他にいくらでもあります。現代の難民は、ホロコースト生還者の気概から学べるかもしれません。彼らは、ユダヤ人の同胞と国連機関の支援を受け、驚くほど短期間のうちに被害者という衣服を脱ぎ棄て、廃墟と化した過去から本物の将来を築きあげたのです。

もうアラブ世界とパレスチナ人自身が、生活保護受給者という生業から脱皮し、死を美化するのではなく、生きることを大切にする将来を築く時ではないでしょうか?

*エブラハム・クーパー師はサイモン・ウィーゼンタール・センターの副館長
Global Social Action Agenda 担当責任者
*マーヴィン・ハイヤー師はサイモン・ウィーゼンタール・センター創始者館長

パレスチナ人の隣人への返答

出会いとは不思議なものです。この春、何気なく見たネットのニュースで、ユダヤ人作家がパレスチナ人の隣人に呼びかけた手紙集が、ニューヨーク・タイムズのベストセラーに入ったことを知り、購入することにしました。

筆者は10通の手紙で、イスラエルの地に住むことが彼にとっていかに大事なことか、そしてその地がユダヤ人のものであると確信していることを、誠実に説明していきます。しかし筆者はそこで終わらず、その地にもう一つのグループ、パレスチナ人も住んでいること、彼らもまたその地に住む権利に確信をもっていることを認め、対話を呼び掛けているのです。パラドクスにも聞こえますが、「自分がこの地に住む正当性を100%信じてこそ、初めてそれを“share”できる」という著書の主張が新鮮でした。

奇遇というか、この本を読んだ数日後、著者のハレビ氏の講演会が近所であることが分かり、早速聴きにいきました。本から得ていた印象通り、深い人間性が滲み出た方でしたが、300人近くが来ていて、ゆっくりお話しすることはできませんでした。それで翌週、少し離れた場所で行われる次の講演会にも出かけたのですが、その日は20人位だけの参加で、彼と親しく話すことができました。

その後、ハレビ氏とメールをやりとりするようになり、来月はエルサレムにお訪ねすることになりました。“Letters to My Palestinian Neighbor” は、日本語版が出ると聞いていますが、このような人物の声がもっと日本に伝わって欲しいと願います。                                                                                                        徳留絹枝

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パレスチナ人の隣人への返答
ヨシ・クレイン・ハレビ

(以下は、パレスチナ人作家の Raja Shehadeh 氏による私の著書 “Letters to My Palestinian Neighbor”の書評への返答です。書評は私への手紙の形で、8月26日の New York Times Book Review に掲載されました。その全文は、末尾にリンクしました。)

Raja へ

あなたの本に初めて出会ったのは、1980年代に私がイスラエルに移住してすぐの頃でした。占領下での生活を強烈に描いた『Samed: Journal of a West Bank Palestinian』は私を深く感動させ、抗争に関する私の理解を形成する助けになりました。

あなたの業績が私にとって本当に大切なものだったからこそ、パレスチナの人々に、100年にわたる抗争を私たちの側がいかに体験し理解しているかを、説明しようとする私の試みを、あなたが有無を言わさず退けてしまったことに、私はことさら失望しました。私が『Letters』を書いたのは、自分自身の体験から、“他の側”から書かれた本がいかに“共感”を育むのに大きな助けになり得るかを、私自身が知っていたからです。“共感”こそは、私たちが和解をするために欠かせないものだと信じます。

共感或いは理解は、同意を意味するものではありません。私の意図は、あなたが書かれたような、平和の前提条件として、ユダヤ人の苦難と解放の物語を受け入れて貰うために、パレスチナの人々をシオニストに変えることではありませんでした。私は本の中で、どちらの側もそれぞれの物語を捨て去ることはできないし、すべきでもない、私たちはそれぞれのストーリーによって自らを定義する人々なのだと、繰り返し書きました。あなたの本は、私の人々の物語をあなたのそれで置き換えることはありませんでした。しかしあなたは、私が、延々と自己言及する物語から抜け出て、異なる視点に目を開くことを助けてくれたのです。

平和の前提条件は、私たちが、相手が存在する権利―この地に独立国家として存在する権利-を否定することを止めることです。

私は、1948年或いは1967年に何が起こったのかに関する私の物語を、パレスチナの人々が受け入れることは期待していません。しかし私は、この地に4千年の繋がりを持つ民族としての私たちのアイデンティティを、パレスチナの人々が否定し続ける限り、平和が叶うとも思えないのです。

あなたは、イスラエル人の友人を持ち、彼らの視点を理解しようと真摯に試みたことがあると、書いています。でも大部分のパレスチナの人々にはこれまで、そのような機会はありませんでした。その代わり、彼らがパレスチナのメディアから絶え間なく聞かされるのは、ユダヤ人の歴史には何一つ正当性は無い、という否定です。パレスチナ人がユダヤ人に関して “知っている”ことは、私たちの祖先がこの地にいたとでっちあげ、考古学上の証拠を捻じ曲げ、神殿の丘(Haram el Sharif )にユダヤ教の神殿があったと嘘をついている、ということだけです。それが、あなたたちの公共の場で語られる、標準的で疑問の余地もない、私たちの物語なのです。

私は、私の本を読んだ何人かのパレスチナ人から、感動的な感想を受け取りました。彼らは、イスラエルに関する深い批判と共に、パレスチナ人にもユダヤ人の存在の正当性と折り合いをつける時が来ている、と書いていました。しかし、彼らのほとんど全員が、報復を恐れ、私が彼らの名前を公表しないよう懇願していました。今日パレスチナ社会において、この土地は二つのグループに帰属し、抗争は二つの正当な物語の間のものであり、ユダヤ人は離散から帰還した原住民だと、公に発言することはできるのでしょうか?

あなたは皮肉交じりに書いています。「貴君がここで正そうとしているのは、貴君の歴史と宗教そしてこの地に対する繋がりに関する、私たちの無知だということですね。」同時にあなたは、あなたの本がヘブライ語に訳されてきたことにも、言及しています。私は、パレスチナ人作家の本がイスラエル内で出版されることは、絶対に必要だと考えています。でもそのプロセスは、一方通行であるべきなのでしょうか? 私は自分の本を、あなたがご自分の本をヘブライ語に訳されたのと同じ理由で、アラビア語に訳して自費出版してきました。相手に、自分側の現実を垣間見る機会を提供するためです。これこそが、作者にとっての基本的な責任だと、私には思えます。

私たちユダヤ人の正当性を否定するという、政治的立場を超えたパレスチナ人の組織的国家的運動としてのキャンペーンは、イスラエル国民に破壊的な影響を及ぼしてきました。「いったいどうして、私たちが存在する権利そして私たちの歴史への権利さえ拒絶する国家運動と、平和を構築することなどできるのか?」とイスラエル人は自問します。パレスチナの人々がユダヤ人の隣人について知らないという問題に取り組むため、私は、なぜ占領が終わらないかに関する核心に迫ろうとしました。イスラエル人が抱くパレスチナ人の意図への恐怖です。

あなたは、パレスチナ人の願いとして「私たちの多くが望むのは、イスラエルが占領地から撤退し、私たちの生き方を放っておいて欲しい、ということだけだ。」と書いています。 Raja 、問題は、殆どのイスラエル人はそれを信じていないということなのです。パレスチナの国家運動が、占領をイスラエルの存在そのものと同一視する限り、パレスチナのメディアがテルアビブを “入植地” と呼ぶ限り、イスラエル人は、西岸にできる国の平和的意図を信用することはないでしょう。

私たちの間の力関係が不均衡なことを、私は十分に承知していますし、それが私の本の出発点でもあります。しかし、解決に向けて進むためには、殆どのイスラエル人がその不均衡な力関係が抗争の原因ではなく結果であると認識していることを、理解する必要があるのです。

Raja、私はあなたの占領者ではなく隣人になりたいのです。私はこの本を、その目的に向けたささやかな貢献として書きました。パレスチナの人々の中から真の相互承認を基にした2国家解決に賛成する声を引き出したいという願いから、そして益々懐疑的そして悲観的になりつつあるイスラエル国民に、1967年境界線における私たちの正当性を受け入れる用意があるという声があなたの側にあるということを証明するために、書いたのです。イスラエルのアイデンティティの正当性を否定し続けることは、抗争を深刻化させ占領を長引かせるだけです。

イスラエル人が抱く治安への恐れは、私たちを、占領がもたらす倫理的な影響に率直に向き合う責任から免除するわけではありません。でも占領はパレスチナの知識人を、平和への心理的障害を取り除く責任から免除もしていないのです。

Raja、私はいかなる場所でも、いかなる聴衆の前ででも、あなたと並んで立ち、占領の終結とイスラエルの受け入れに繋がる相互理解と承認という、基本的な原則を主張する用意があります。

あなたは私の手紙が、「答えを求めているようには読めず、むしろ、おとなしく聞くことだけを求められた相手に向けた、不完全な対話かレクチャーのようだ。」と書いています。

もちろん私は、パレスチナの人々が読んでくれることを期待して書いたのです。でもそれ以上に期待したのは、返答してくれるパレスチナ人を見つけることでした。それが、あなたの返事を対話の始まりの可能性ととらえることにした、理由です。

最後に、私の本がパレスチナの若者にとって、かつてあなたの本が私にしてくれたように、自分の声に忠実でありつつ隣人の声を聴く助けとなることを、期待しています。

Yossi より

* New York Times Book Review に掲載されたRaja Shehadeh 氏の手紙
* ハレビ氏の返答の英語オリジナル

反イスラエル国連は是正されるか:日本の貢献

徳留絹枝

国連総会でのドラマ

6月13日、国連緊急特別総会のライブストリーミングを見ていて、その展開に思わずコンピュータの画面に釘付けになった。その日議論されていたのは “Protection of the Palestinian civilian population(パレスチナ市民の保護)” というタイトルの決議案で、ガザ・イスラエル境界線でパレスチナ人が数か月来 続けてきたデモ行動へのイスラエルの対応を、非難するものだった。それは、東エルサレムを含む占領地、特にガザのパレスチナ市民に対し、イスラエル軍が “過剰” で “不均衡” で “無差別的” な武力を行使していると痛烈に非難し、イスラエルがそのような行為を停止し、戦時における文民の保護に関する1949年ジュネーヴ第4条約に従うことを、要求していた。

国連においては、数の上で勝るアラブ・イスラム国グループと国内にアラブ系の移民を抱える欧州の国々も加わり、これまでイスラエルに対するこのような一方的な決議は当たり前のように採択されてきた。反対票を投じるのはイスラエル・米国と他の数か国だけというのがお決まりのパターンで、日本も多数側について反イスラエル票を投じるのが常だった。

しかしこの日起こったことは、イスラエルに関する限り、近年の国連では初めての展開だった。米国が、以下の内容を含む修正案を提出したのだ。

「ハマスは、イスラエルに繰り返しロケットを打ち込み、境界線で暴力行為を煽っている。ハマスが、市民を危険に晒す全ての暴力行為を停止することを求める。さらに、深刻な生活物資不足に瀕するガザ市民のために使われるべき資材が、イスラエルへの侵入を目的とするトンネルや、民間人居住地に向けたロケット発射基地などの軍事施設の建設に使われていることを糾弾する。」

米国修正案への賛否を示す電子表示版に各国の票が次々と表示されると議場はざわめき、議長が電話でどこかと話すなどして、なかなか集計結果が発表されない。そしてついに、賛成62、反対58(棄権42)の集計が掲示されると、イスラエル国連大使の顔がアップで映し出された。冷静を装い静かに拍手していたが、興奮と喜びは隠しようもない。ライブなだけに、議場の緊張とサスペンスが直接伝わってくる。

しかし最終的には、修正には2/3の賛成が必要という議事進行ルールにより、イスラエル糾弾のみの決議が成立してしまう。修正案に同意した日本も賛成票を投じた。それでも国連総会において、パレスチナ側の責任を問うことに賛成する国が過半数を超えたことの意味は計り知れない。最終的には反イスラエル決議は採択されたものの、拍手するパレスチナ代表の顔も心なしか浮かないものだった。

6月13日国連緊急特別総会の様子

この展開を、国連における大きな勝利と米国がとらえたことは、最近ヘイリー国連大使・フリードマン駐イスラエル大使・クッシュナー大統領上級顧問・グリーンブラット中東和平担当代表が、連名でCNNに書いた意見記事からも伺える。彼らはその中で、「6月13日、国連で素晴らしいことが起こった。これが国際社会のトレンドとなるなら、我々は、イスラエルとパレスチナの平和な未来に希望が持てるかもしれない。…平和は、それが現実に基づく時にのみ達成される。我々は国連でその兆候を垣間見た。流れが大きく変わろうとしている。」

しかしその後、この流れに危機を感じたと思われるアラブ諸国が発展途上国と共に、132国からなるグループを構成し、その代表には、国連加盟国ではなくオブザーバー国のパレスチナを選出した。数で勝るこのグループが今後どう動くのか、注目される。

国連と日本のメディアが触れなかったこと

国連総会で過半数の国が求めたにも拘わらず、結局その責任を問われないままに終わったハマスの行動とは、どのようなものだったのか。筆者の観察では、それらは日本のメディアでもあまり伝えられていなかったように思う。

1.市民による「平和の行進」として計画されたデモで、実際には、ガザを支配するハマスが女性や子供まで扇動し、何千人ものパレスチナ人を連日バスで境界線まで送り届け、暴動の危険に晒した。運転を拒否したバスの運転手は投獄されたとも、伝えらえている。

2.境界線のフェンスを破壊しようとした者たちは、突破後は近隣のキブツを襲撃していたであろうこと。暴徒がなだれ込んで起こすそのような襲撃で何百人もの死者が出る可能性があり、イスラエル軍は何としても彼らを境界線でくい止める必要があった。フェンスに近づいた多くのパレスチナ人が足を撃たれたのはそのためである。また死亡したパレスチナ人の大多数は、ハマスのテロリストであった。因みに、イスラエル空軍は「ハマスは皆さんを危険に晒そうとしています。境界線には近づかないように」というビラを、ガザの上空に何度か撒布していた。

3.境界線からイスラエル側に放たれた火炎凧や火炎風船は、1千件もの火事を起こし、その被害は何億円もの甚大なものとなった。焼け出された生態系が元に戻るには15年もかかると言われる。

4.死傷者が出た後も、ハマスは、世界のメディアにイスラエル軍によって殺害されたり負傷したパレスチナ人の映像を見せるため、ガザ市民を危険なデモに駆り立て続けた。軽傷を負った者には200ドル、重傷者には500ドル、そして死亡した者の家族には3千ドルを支払っていたことをハマスが認めたと報道されている。極め付きは、ハマスから2200ドルを受け取った親が、8か月の女児が境界線付近でイスラエルの催涙ガスを吸って死んだと嘘をついていたことだ。(子供は生まれつきの心臓疾患で死んだ可能性大)このニュースは日本を始め世界中で報じられたが、その後訂正記事を出したところは少ない。

5.ガザの若者たちを危険なデモに駆り立てているのは、イスラエルによる占領で彼らが未来に希望をもてないためと説明されがちだが、もっと根深い問題は、彼らが、ユダヤ人への憎しみを植え付け、殉教を称える教育を受けて育つことだ。学校で使用される教科書のさまざまな問題も指摘されている。

6.そのような教育を受けて育った者が、実際にテロ行為をはたらくと、自爆やイスラエル治安部隊によって殺害された場合は家族に、生き残ってイスラエルの刑務所に収監された場合は本人に、パレスチナ自治政府から一生にわたって報償金(サラリー)が支払われる。罪が重いほど(多くのイスラエル人を殺すほど)額は大きくなるという。その支払い総額は年間300億円を超えるが、多額のパレスチナ支援金を拠出してきた米国などが支払いを停止するよう求めても、自治政府は拒み続けている。 因みに、日本のメディアは、トランプ大統領がパレスチナへの支援を凍結している理由を、米大使館のエルサレム移転に反発したパレスチナへの報復だと伝え、これらの構造的な問題に触れることはない。

7.最後に、デモの目的として掲げられた“帰還”だが、パレスチナ側が求める、イスラエル建国時のパレスチナ難民約70万人の子供・孫・ひ孫まで含めた500万人以上のイスラエル国内への帰還は、ユダヤ人国家であり民主国家としてのイスラエルの壊滅を意味し、実現はあり得ない。ハマス指導者はそのことを知りながら、帰還を扇動している。また国務省の2015年の調査によれば、難民本人(難民の国際的定義による)で現在も生存するのは約2万人にすぎないということだが、オバマ政権はその結果を非公開にしていたという。米政府は、難民数に関する正確な情報を基に、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への拠出金を見直す方針だと伝えられている。人道的支援の停止は米議会にも反対があり、突然パレスチナ人を見捨てるようなことはないであろうが、難民が500万人(そしてそれは毎年増え続ける)という虚構を続ける形の支援ではなく、パレスチナの人々の尊厳ある自立に向けての支援になるであろう。

日本の貢献

先ごろバンコクで開かれた「パレスチナ開発のための東アジア協力促進会合」で、河野太郎外務大臣は議長を務め、日本政府が、これまで人材育成支援やジェリコの農産加工団地の開発促進などの貢献を続け、1993年以降のパレスチナへの支援総額は2千億円になること、UNRWA にも先般15億円の追加支援を決定したことなどを説明した。公式発表を読む限り、国連で過半数が賛成した“ハマスの責任追及”には言及しなかったようだ。

即ち、日本政府の姿勢には最近の国連での動きが全く反映された様子が無いということだ。さらには、パレスチナの人々への善意の支援金が、テロ活動に従事するグループに流れているという問題もある。これは、米国ばかりでなく最近オーストラリアも憂慮を示している。

日本には、長い年月パレスチナを支援してきた人々がいる。彼らのこれまでの活動を見ると、本当に頭が下がる。政府の支援もこれらの人々の支援も、中東和平を少しでも前進させることに役立って欲しい。そのためには、この問題に関する日本の国連政策や支援のあり方を包括的に見直す必要があるのではないか。そしてパレスチナを支援するNGOにも、現実をよく調査し、彼らの誠意が確実に伝わる活動を続けて欲しい。