パレスチナ人の隣人への返答

出会いとは不思議なものです。この春、何気なく見たネットのニュースで、ユダヤ人作家がパレスチナ人の隣人に呼びかけた手紙集が、ニューヨーク・タイムズのベストセラーに入ったことを知り、購入することにしました。

筆者は10通の手紙で、イスラエルの地に住むことが彼にとっていかに大事なことか、そしてその地がユダヤ人のものであると確信していることを、誠実に説明していきます。しかし筆者はそこで終わらず、その地にもう一つのグループ、パレスチナ人も住んでいること、彼らもまたその地に住む権利に確信をもっていることを認め、対話を呼び掛けているのです。パラドクスにも聞こえますが、「自分がこの地に住む正当性を100%信じてこそ、初めてそれを“share”できる」という著書の主張が新鮮でした。

奇遇というか、この本を読んだ数日後、著者のハレビ氏の講演会が近所であることが分かり、早速聴きにいきました。本から得ていた印象通り、深い人間性が滲み出た方でしたが、300人近くが来ていて、ゆっくりお話しすることはできませんでした。それで翌週、少し離れた場所で行われる次の講演会にも出かけたのですが、その日は20人位だけの参加で、彼と親しく話すことができました。

その後、ハレビ氏とメールをやりとりするようになり、来月はエルサレムにお訪ねすることになりました。“Letters to My Palestinian Neighbor” は、日本語版が出ると聞いていますが、このような人物の声がもっと日本に伝わって欲しいと願います。                                                                                                        徳留絹枝

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パレスチナ人の隣人への返答
ヨシ・クレイン・ハレビ

(以下は、パレスチナ人作家の Raja Shehadeh 氏による私の著書 “Letters to My Palestinian Neighbor”の書評への返答です。書評は私への手紙の形で、8月26日の New York Times Book Review に掲載されました。その全文は、末尾にリンクしました。)

Raja へ

あなたの本に初めて出会ったのは、1980年代に私がイスラエルに移住してすぐの頃でした。占領下での生活を強烈に描いた『Samed: Journal of a West Bank Palestinian』は私を深く感動させ、抗争に関する私の理解を形成する助けになりました。

あなたの業績が私にとって本当に大切なものだったからこそ、パレスチナの人々に、100年にわたる抗争を私たちの側がいかに体験し理解しているかを、説明しようとする私の試みを、あなたが有無を言わさず退けてしまったことに、私はことさら失望しました。私が『Letters』を書いたのは、自分自身の体験から、“他の側”から書かれた本がいかに“共感”を育むのに大きな助けになり得るかを、私自身が知っていたからです。“共感”こそは、私たちが和解をするために欠かせないものだと信じます。

共感或いは理解は、同意を意味するものではありません。私の意図は、あなたが書かれたような、平和の前提条件として、ユダヤ人の苦難と解放の物語を受け入れて貰うために、パレスチナの人々をシオニストに変えることではありませんでした。私は本の中で、どちらの側もそれぞれの物語を捨て去ることはできないし、すべきでもない、私たちはそれぞれのストーリーによって自らを定義する人々なのだと、繰り返し書きました。あなたの本は、私の人々の物語をあなたのそれで置き換えることはありませんでした。しかしあなたは、私が、延々と自己言及する物語から抜け出て、異なる視点に目を開くことを助けてくれたのです。

平和の前提条件は、私たちが、相手が存在する権利―この地に独立国家として存在する権利-を否定することを止めることです。

私は、1948年或いは1967年に何が起こったのかに関する私の物語を、パレスチナの人々が受け入れることは期待していません。しかし私は、この地に4千年の繋がりを持つ民族としての私たちのアイデンティティを、パレスチナの人々が否定し続ける限り、平和が叶うとも思えないのです。

あなたは、イスラエル人の友人を持ち、彼らの視点を理解しようと真摯に試みたことがあると、書いています。でも大部分のパレスチナの人々にはこれまで、そのような機会はありませんでした。その代わり、彼らがパレスチナのメディアから絶え間なく聞かされるのは、ユダヤ人の歴史には何一つ正当性は無い、という否定です。パレスチナ人がユダヤ人に関して “知っている”ことは、私たちの祖先がこの地にいたとでっちあげ、考古学上の証拠を捻じ曲げ、神殿の丘(Haram el Sharif )にユダヤ教の神殿があったと嘘をついている、ということだけです。それが、あなたたちの公共の場で語られる、標準的で疑問の余地もない、私たちの物語なのです。

私は、私の本を読んだ何人かのパレスチナ人から、感動的な感想を受け取りました。彼らは、イスラエルに関する深い批判と共に、パレスチナ人にもユダヤ人の存在の正当性と折り合いをつける時が来ている、と書いていました。しかし、彼らのほとんど全員が、報復を恐れ、私が彼らの名前を公表しないよう懇願していました。今日パレスチナ社会において、この土地は二つのグループに帰属し、抗争は二つの正当な物語の間のものであり、ユダヤ人は離散から帰還した原住民だと、公に発言することはできるのでしょうか?

あなたは皮肉交じりに書いています。「貴君がここで正そうとしているのは、貴君の歴史と宗教そしてこの地に対する繋がりに関する、私たちの無知だということですね。」同時にあなたは、あなたの本がヘブライ語に訳されてきたことにも、言及しています。私は、パレスチナ人作家の本がイスラエル内で出版されることは、絶対に必要だと考えています。でもそのプロセスは、一方通行であるべきなのでしょうか? 私は自分の本を、あなたがご自分の本をヘブライ語に訳されたのと同じ理由で、アラビア語に訳して自費出版してきました。相手に、自分側の現実を垣間見る機会を提供するためです。これこそが、作者にとっての基本的な責任だと、私には思えます。

私たちユダヤ人の正当性を否定するという、政治的立場を超えたパレスチナ人の組織的国家的運動としてのキャンペーンは、イスラエル国民に破壊的な影響を及ぼしてきました。「いったいどうして、私たちが存在する権利そして私たちの歴史への権利さえ拒絶する国家運動と、平和を構築することなどできるのか?」とイスラエル人は自問します。パレスチナの人々がユダヤ人の隣人について知らないという問題に取り組むため、私は、なぜ占領が終わらないかに関する核心に迫ろうとしました。イスラエル人が抱くパレスチナ人の意図への恐怖です。

あなたは、パレスチナ人の願いとして「私たちの多くが望むのは、イスラエルが占領地から撤退し、私たちの生き方を放っておいて欲しい、ということだけだ。」と書いています。 Raja 、問題は、殆どのイスラエル人はそれを信じていないということなのです。パレスチナの国家運動が、占領をイスラエルの存在そのものと同一視する限り、パレスチナのメディアがテルアビブを “入植地” と呼ぶ限り、イスラエル人は、西岸にできる国の平和的意図を信用することはないでしょう。

私たちの間の力関係が不均衡なことを、私は十分に承知していますし、それが私の本の出発点でもあります。しかし、解決に向けて進むためには、殆どのイスラエル人がその不均衡な力関係が抗争の原因ではなく結果であると認識していることを、理解する必要があるのです。

Raja、私はあなたの占領者ではなく隣人になりたいのです。私はこの本を、その目的に向けたささやかな貢献として書きました。パレスチナの人々の中から真の相互承認を基にした2国家解決に賛成する声を引き出したいという願いから、そして益々懐疑的そして悲観的になりつつあるイスラエル国民に、1967年境界線における私たちの正当性を受け入れる用意があるという声があなたの側にあるということを証明するために、書いたのです。イスラエルのアイデンティティの正当性を否定し続けることは、抗争を深刻化させ占領を長引かせるだけです。

イスラエル人が抱く治安への恐れは、私たちを、占領がもたらす倫理的な影響に率直に向き合う責任から免除するわけではありません。でも占領はパレスチナの知識人を、平和への心理的障害を取り除く責任から免除もしていないのです。

Raja、私はいかなる場所でも、いかなる聴衆の前ででも、あなたと並んで立ち、占領の終結とイスラエルの受け入れに繋がる相互理解と承認という、基本的な原則を主張する用意があります。

あなたは私の手紙が、「答えを求めているようには読めず、むしろ、おとなしく聞くことだけを求められた相手に向けた、不完全な対話かレクチャーのようだ。」と書いています。

もちろん私は、パレスチナの人々が読んでくれることを期待して書いたのです。でもそれ以上に期待したのは、返答してくれるパレスチナ人を見つけることでした。それが、あなたの返事を対話の始まりの可能性ととらえることにした、理由です。

最後に、私の本がパレスチナの若者にとって、かつてあなたの本が私にしてくれたように、自分の声に忠実でありつつ隣人の声を聴く助けとなることを、期待しています。

Yossi より

* New York Times Book Review に掲載されたRaja Shehadeh 氏の手紙
* ハレビ氏の返答の英語オリジナル

ヘイリー米国連大使のスピーチ

国連安全保障理事会での中東における暴力行為に関するスピーチ

アメリカ合衆国国連大使ニッキー・ヘイリー
ニューヨーク市
2018年5月15日

今日の会合は、中東における暴力行為に関して議論を行うために召集されました。私たちは皆、中東で起きている衝突を懸念しています。アメリカ合衆国は人命が失われたことに深く心を痛めます。しかし、この地域全域において数多くの暴力が広がっています。また、この安全保障理事会では往々にしてダブルスタンダードがまかり通り、今日もこうして時間外の会合を持っていることに言及しておきます。

先週、イラン軍がシリアからロケットを発射し、ゴラン高原のイスラエル陣地を攻撃しました。これは無謀な挑発行為であり、その拡大は阻止されなければなりません。それは、この会合で私たちが議論すべき暴力行為の一例です。また先週、イランが後押しているイエメン内の勢力が、サウジアラビアに対してロケットを発射しています。それは初めての攻撃ではありませんでした。

これもまた、この安全保障理事会において私たちが議論しなければならない、この地域での暴力行為です。またこの数日、イランの支援を受けるハマスが、イスラエルの警備隊とインフラ施設を攻撃するように扇動していました。これも、私たちが目を向けなければならない問題の一つです

これらの暴力行為の全てを繋いでいるのは、この地域に不安定をもたらすイラン政府の行動なのです。イランは自国民の基本的人権を侵害する一方で、中東全域における暴力を拡大しようとしています。

アメリカ合衆国は、中東におけるこれらの暴力行為について、ぜひ議論したいと思っています。私たちは、互いが協力し合い、これらの衝突に終止符が打てるような話し合いを行いたいと考えています。安全保障理事会では、シリアの不安定化を作り出し、イエメンにおける暴力行為の扇動、ガザにおけるテロリストへの支援やレバノンでの危険で違法な武器の備蓄などに加担しているイランについて、ほとんど議論がなされていません。

しかしある人々にとっては、今日の会合は、中東におけるこれらの暴力行為に関して話し合うために開かれたものではありません。それは、昨日のアメリカ合衆国エルサレム大使館開設に伴って発生したとされる衝突について、話し合うために召集されました。大使館の開設が暴力行為の理由だったと考えている人々がいるのです。それはいったいどのように正当化されるというのでしょう?

トランプ大統領が昨年12月に大使館移転の決定を発表したときに言及した通り、大使館の位置は、エルサレム内にイスラエルの主権や国境に関して特別な境界線を引くものではありませんし、係争中の境界線を解決するものでもありません。イスラエルの聖地に影響を与えるものでもありません。また今後、和平合意でいかなる交渉がなされようと、当事者の立場を前もって縛るものでもありません。平和への展望をいかなる意味でも疎外するものではありません。それでもなお、大使館の移転が暴力行為を起こさせたと言い張る人々がいます。

しかし私たちが忘れてならないことは、ハマスが、アメリカ合衆国が大使館を移転すると決定する前から、何年にも渡り暴力行為を扇動していたことです。

数日前から、複数のメディアがガザにおけるハマスの扇動行為について報道してきました。報道によると、ハマスは、地図やソーシャルメディアを通して、デモの参加者がフェンスを越えたあと、最短でイスラエル側の村落に到着できるルートを公開していました。また、ハマスがスピーカーを用いて、デモの参加者に、イスラエル兵は撤退したから(実際はしていないにも拘わらず)フェンスを突破するようにと叫んでいたこともメディアが報道しています。ハマスのメンバーは「もっと近づけ、もっとだ」と群衆をフェンスに向かうよう、扇動していました。

燃料や食料、医療器具などの輸送に使われるガザへの最大の関門所ケレムシャロムも、ハマスは攻撃しました。彼らはそれほどまでに、ガザの人々が苦境に晒されることを気にかけていなかったのです。ハマスは、火炎瓶を凧に括り付けてイスラエルに投げ飛ばし、できる限り大きな破壊を生み出そうとしています。テロリストの一人は、なぜ卍マークを凧に書いているのか尋ねられると「ユダヤ人はヒトラーの話になると頭が狂うんだ」と答えていました。

このようなことが、ガザの人々を危険に晒しているのです。間違ってはいけません。ハマスは、昨日の衝突の結果に満足しています。

この安全保障理事会に出席している同僚の皆さんにお伺いしたいです。このような行為が自分の国境で行われているとしたら、見逃すでしょうか?見逃す国はないでしょう。イスラエルは、この会合に出席しているどの国がしたであろうよりも、小規模の力で対応しました。実際、この会合に参加している数か国は、その過去の記録からして、より強硬な力をもって対応していたでしょう。

アメリカ合衆国大使館の所在地がガザでの衝突と関係があるという考えは、明らかな間違いです。そうではなく、この衝突は、いかなる場所においてもイスラエルの主権を拒絶する組織から生まれたものです。国連の加盟国であるイスラエルを破壊しようと考えることは、明らかに違法であり、それを糾弾するのならともかく、この安全保障理事会で時間を割いてまで議論すべきことではありません。

昨日の大使館開設は、アメリカ合衆国の国民にとって祝福すべき出来事でした。大使館をエルサレムに移すことは正しいことです。アメリカ合衆国の人々の意志を表現したものです。大使館をどこに置くかを決定する権利は、その国の主権を象徴するものです。この権利は、この会合に参加している全ての国が持っているものです。また、大使館の移転は、エルサレムがイスラエルの首都であるという現実を認める重要なものです。イスラエルが建国してから、エルサレムは首都としてあり続け、また、ユダヤ人にとっての何千年前からの首都でもあります。エルサレムがイスラエルの首都でなくなる和平協定が成立することはあり得ません。この現実を認めることこそが、平和達成の可能性を高める(低めるのではなく)のです。

アメリカ合衆国は、和平交渉と和平協定が進むよう全面協力するつもりです。全ての人々が、宗教の違いに拘わらずエルサレムで祈ることができる平和、全ての人の権利が尊重され、全ての人に明るい未来が照らされる平和、そのような平和こそが私たちの求めるものです。そしてこの平和は、多くの人々が認めようとしない今の現実に根差したものであるとき、初めて実現されるのです。アメリカ合衆国の昨日の行為は、現実の認識と平和への願いを促すものでした。そして私たちは、世界がこの現実的で、確かで、永続する平和を作るための道を共に歩んでいけることを心から願っています。

最後に、イスラエルが建国70周年を迎えたことに触れたいと思います。私はアメリカ合衆国の人々を代表し、この国連安保理事会の場で、イスラエルの友人たちが独立国家として70年を迎えたという顕著な成功を、祝福したいと思います。誇り高きイスラエルの人々は貧しく危機的な状況からスタートし、世界の光になるという預言者イザヤの夢を実現しました。次の70年が、力と希望と平和に包まれたものでありますように。

ありがとうございました。

(日本語仮訳:杉中亮星)

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*特筆すべき点(そして正確に報道されてこなかった点)は、今回の米国大使館移転が、これまでも将来も間違いなくイスラエルの首都である西エルサレムになされたもので、東エルサレムを将来の首都と宣言しているパレスチナとの今後の和平交渉において、双方の立場を前もって縛るものではないということです。

建国70周年を迎えたイスラエルの理解を

安倍首相は建国70周年を迎えたイスラエルを訪問し、同時にパレスチナ自治区も訪れ、日本の中立的立場を明確に示したうえで、イスラエルとパレスチナ双方に和平を働き掛けるという。

「中立的立場」という言葉は聞こえがよく、公平な立場という印象を与える。しかしそれは、双方のこれまでの行動や発言、さらには国際社会の新しい流れなどを深く理解したうえでの「中立」なのだろうか?

イスラエルは、ここ数年の日本との経済関係の拡大、日本を訪れるイスラエル人観光客の増加などが示すように、日本にとって身近な国になりつつある。しかし、かつてのアラブ産油国によるイスラエルボイコットの記憶や、日本の一部に根強いユダヤ人への偏見もあり、日本人のイスラエル理解は決して十分とは言えない。イスラエル・パレスチナ問題にしても、日本の報道にはパレスチナ寄りの傾向があり、イスラエル側の主張はあまり日本に伝わっていないのが現状だ。

日本での報道には、イスラエルがパレスチナ人の土地を占領し、パレスチナ人を抑圧しているという構図が先ずある。それに抗議するパレスチナ人をイスラエル軍が過剰な力で制圧している、という報道が一般的なものだ。しかし、それらの抗議をハマスなどの指導者が扇動していること、今回のガザのデモでは暴動化すれば死者がでることも承知で女子や子供まで駆り立ていたことなどは、あまり伝えられない。何より、これらの子供が、イスラエルやユダヤ人への憎しみを植え付け、自爆テロを賛美する教育を受けて育っていることも、日本では問題にされない。

トランプ大統領が、「国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)」に対する拠出金の支払いを留保したニュースも、彼のエルサレム首都認定に反発したパレスチナへの報復措置として報道された。そして、最大の支援国アメリカからの拠出金が凍結されたことで、パレスチナ難民への食糧、医療、教育支援などの支援活動に支障をきたし、彼らの窮状がさらに悲惨になることが強調された。しかしそれらの報道は、UNRWAが運営する学校が子供たちにイスラエルとユダヤ人への憎悪を教えていることには触れないし、国際社会からの援助資金や資材が、テロ攻撃用のトンネル建設などに流用されていることも、日本ではあまり報道されない。

また日本人の国連信望からか、UNRWA自体の問題点もめったに語られない。イスラエルの独立戦争(実際は国連のパレスチナ分割決議を拒絶したアラブ諸国が誕生したばかりのイスラエルに攻め込んだ)で発生したパレスチナ難民を救済するという短期目的で1949年にUNRWAが設立されたが、難民数は当初の約70万人から現在は500万人に膨れ上がり、UNRWAの支援で暮らしている。そして主要国からの巨額の寄付で賄われる経費の使われ方は、不透明性が度々指摘されている。

70年を経て、なぜ子供や孫の代まで難民であり続なければならないのかを解説する日本の報道はあまりない。そして、同じ時期にアラブ諸国から追放されたほぼ同数のユダヤ人難民を建国直後の貧しいイスラエルが吸収し、その中から国の発展に尽くした多くの人材が輩出されたことも日本ではあまり知られていない。20世紀においては2回の世界大戦をはじめ、多くの人々が戦禍にさらされたが、日本人を含めそのほとんどは苦難を乗り越え、何とか建設的に生きてきた。しかしパレスチナに限り、3代目に至るもまだ難民でいることの原因は何なのか。イスラエルが何度か提供した和平案を受け入れ、テロ行為に費やされる人的資源や国際社会からの支援を、健全な国家の建国に役立てることこそが求められていたのではないか。2005年にイスラエル軍が撤退した時、ガザは中東のシンガポールになれたはずなのに、ハマスが選んだのはイスラエルへのロケット攻撃で、その後もテロ活動は続いた。因みに、パレスチナ政府は、イスラエル人に対するテロ活動に関わった者(死んだ場合はその遺族)に、生涯にわたって給料を支払っており、その年度総額はアメリカ政府が毎年支給してきた支援金300億円とほぼ同額になると報告されている。アメリカ議会は最近、そのような用途に使われる支援を停止する法案を通過させた。

また日本では、イスラエルのボイコットを目指すBDS(ボイコット・投資引き上げ・制裁)運動も、あまり知られていない。この運動は、イスラエルの占領地からの撤退とパレスチナ人の人権擁護を目的としてパレスチナ人活動家が2005年に始めたものだ。南アフリカのアパルトヘイトを終焉させた運動をモデルにしたとし、イスラエルとビジネスや学術・文化交流をしようとする企業やグループに圧力をかける。最近では、ホンダがヨルダン川西岸地区で予定していたモーターバイクのレースを中止したが、BDS活動家は、「パレスチナ人の人権を侵害するイスラエルの責任を問う世界的BDS運動の成果」として歓迎した。

日本政府は、BDS運動に関して正式な立場はとっていないが、イスラエルや米国政府そして多くのユダヤ人団体は、イスラエル国家そのものの違法性を訴えることが運動の真の目的だとして、糾弾している。米国ユダヤ人協会(AJC)理事長で、毎年訪日して安倍首相にも面会しているデビッド・ハリス氏は、次のように私に書いてきた。

「表面的にどのような目的を掲げようと、BDS運動は本質的に反ユダヤであり、中東で唯一の民主国家であるユダヤ人国家イスラエルのみをターゲットとし、その壊滅を目指すものです。BDS運動に加わる企業には、以下のことを考えて欲しいです。第一にそれは反ユダヤ反イスラエル運動への参加だということ、次に、多くの州が反BDS法を成立させたアメリカ国内においてその企業の評判は著しく傷つくこと、最後にその企業は、サイバーセキュリティや未来自動車、先端医療や水処理などイスラエルの最先端技術へのアクセスを失う、ということです。」

「イスラエルの壊滅」というのはユダヤ人側の誇張ではない。ガザを実効支配するハマスの憲章は長い間それを謳ってきており、昨年その文言そのものは削除したものの、「(ヨルダン)川から(地中)海までパレスチナの地を開放する(すなわちイスラエルの壊滅)」という姿勢に変わりはない。テロ行為への過剰な対応や西岸での入植活動など、イスラエル側にも問題とされる行動はあるが、基本的問題は、パレスチナがユダヤ人国家としてのイスラエルを認めない、という一点にある。日本が「中立」という政策を取るにしても、この状況を正確に把握したうえで、国民にも説明できるような政策であってほしい。また、ニュースメディアも、国民が判断できるよう、可能な限りの情報を正確に伝えるべきだと思う。

また国際社会の新しい流れにも、目を向ける必要があるのではないか。トランプ大統領のエルサレム首都宣言、それに対して大きな抗議活動を起こすこともなかった湾岸諸国の動向、サウジアラビアの宗教指導者が初めてホロコースト否定を糾弾する声明を発表したこと、続いて同国のムハンマド皇太子がアラブ指導者として初めて ”ユダヤ人が祖先の地に住む権利” を認めたこと、米国務省の最新報告書がヨルダン川西岸やガザを占領地と表記しなかったことなど、十年一日の「中立」政策でよいのかと思わせられる展開が続いているからだ。

朝鮮半島で大きな動きが起きているように、中東でもそれは起きている。経済関係の深まりとともに、人的交流も益々増えていくであろうイスラエルに、日本はどのようなアプローチをすべきなのか。中立と宣言するのは簡単なことだが、それでは真の理解に繋がらない。建国70周年という節目に、日本人は先ず、イスラエルの歴史(特に建国の歴史)をもっと学ぶことが必要なのではないか。国連決議がイスラエルを非難してきたという事実のみを真に受けず、アラブ・イスラム国が数を頼みに「シオニズムは人種差別の一形態である」と宣言する決議を採択したのも、今でも総会やユネスコで反イスラエル決議を採択しているのも、国連であることを理解しなければならない。東エルサレムを含む西岸地域は「占領地」と呼ぶよりも「係争中の地域」と呼ぶのが国際法上正しいという説もある。歴史を正確に知ることはなによりも重要なのだ。

筆者は最近、日本でも邦訳が出た『イスラエル―民族復活の歴史 』の著者で、イスラエルのシャーレム大学副学長ダニエル・ゴーディス氏とメールを交換した。ゴーディス氏は米国とイスラエルの主要新聞に頻繁に執筆しており、発言力も大きい人物だ。公平な立場から簡潔に纏められたこの著書は、指導層への批判が許されないパレスチナと違い、自国政策への批判が世界で最も自由に時には激しく行われるイスラエルで、良書として認められた。そして、米国で最古のユダヤ関連書籍紹介団体から、2016年度最優秀書に選ばれている。

  

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ゴーディス氏が私に送ってきた言葉には、イスラエルをもっと知って欲しいという願いがあふれていた。

「日本の長い歴史や文化を理解することなく、日本政府や日本国民の行動を理解することはできないでしょう。イスラエルも同じです。日本の方々には、日々の新聞の見出しを追うだけでなく、ユダヤ人の長い歴史と遺産、そして(祖先の地に帰るという)シオニズムが何千年にもわたるユダヤ人の夢と切望であったことを、理解してほしいと思います。」

私が個人的に知るユダヤ系の人々は、誰一人反パレスチナではない。彼らの全員が、パレスチナの人々に真の平和と健全な暮らしをもたらすために尽力するパレスチナ人指導者が現れて欲しいと、口を揃える。一方パレスチナ支援活動を続ける日本人の努力も尊いものだ。イスラエル・パレスチナ問題に関し、歴史を学び、正確な情報を得て、平和構築に貢献できるような日本であってほしい。

徳留絹枝

Our People: 被害者も加害者も私たちと同じ人間だった

2年前エルサレムに旅した時、イスラエルの国立ホロコースト記念博物館「ヤドヴァシェム」を案内してくれたのは、サイモン・ウィーゼンタール・センターのエルサレム所長エフレム・ズーロフ氏でした。ニューヨーク出身の彼のルーツは、かつてその首都が「北のエルサレム」と呼ばれたほどユダヤ教の教えと文化が栄えたリトアニアのラビの家系で、彼の名前もホロコーストで殺害された大叔父の名前を貰ったものだそうです。

ヘブライ大学で学んだ後イスラエルに移住したズーロフ氏は、1978年に初めてサイモン・ウィーゼンタール氏に会い、この著名なナチハンターの後継者として今日まで働いてきました。

ズーロフ氏がサインしてくれた彼の著書『Operation Last Chance』には、これまで24か国で520人以上のナチ戦犯を探し出し、それらの何人かがドイツの法廷で裁かれたなどの、活動記録が綴られています。ナチ戦犯が潜む多くの国が非協力的だったこともあり、彼の活動は困難なものでした。

アマゾン:https://www.amazon.com/Operation-Last-Chance-Criminals-Justice/dp/0230108059

ズーロフ氏は数年前、リトアニアの女性作家ルータ・ヴァナガイタさんと一緒に、22万人(当時のユダヤ人口の95%)のユダヤ人が殺害されたリトアニア国内の跡地を訪ね歩きました。自分自身の家族も含めて多くのリトアニア人が殺戮に加担したことを知ったヴァナガイタさんは2016年、『Our People:  Travels With the Enemy 』という著書を出版しました。当初はベストセラーになったものの、その後国内で非難の声が大きくなり、以前は国民的人気作家だったヴァナガイタさんですが、現在は孤立しているそうです。

先ごろヘブライ語版が出版されたそうで、イスラエルの新聞『Haaretz』にズーロフ氏とヴァナガイタさんがビデオで紹介されたことを、ズーロフ氏が知らせてくれました。ヘブライ語が分からない私のために英語訳も送ってくれましたので、それを日本語に訳しました。

כל הארץ היא אתר רצח אחד גדול

"אנשים נהיו חיות רעות": בשעה שפולין נסוגה מהתמודדות עם עברה, במדינה השכנה ליטא, לא התחילו לעשות את זה בכלל. המדינה לא עיכלה מעולם כיצד רבבות מבני העם הליטאי קמו יום אחד לרצוח מאתיים אלף משכניהם היהודים, במקרים רבים – מבלי שהיה חייל גרמני אחד בסביבה. ספר חדש, שעוסק בכך בצורה שנועדה "להעיר את הקוראים", מטלטל כבר שנתיים את המדינה והחברה הליטאית. האנשים שעשו את זה היו ברובם המוחלט אנשים רגילים לגמריhttps://www.haaretz.co.il/gallery/literature/.premium-1.5820545

Haaretz הארץ‎さんの投稿 2018年2月18日(日)


リトアニア人作家ルータ・ヴァナガイタとナチハンターのエフレム・ズーロフが、
リトアニアが忘れ去りたい物語を綴った著書

EZ:これまで40年間世界中のナチ戦犯を追いかけてきましたが、今回は私個人にとっても大切なプロジェクトとなりました。私の祖父も祖母もリトアニアで生まれました。私は、ホロコースト時のリトアニアユダヤ人の運命が決して忘れ去られることがないようにしたかったのです。

RV: 私はホロコーストについてほとんど何も知りませんでした。ユダヤ人の友人も先生もいませんでしたから。でも、私自身の親類の何人かも間接的にであれ殺戮に加担していたことを知り、きっと多くの人々の家族も関わったに違いないと思いました。

EZ: 人々は最近ポーランドで成立した法律のことばかり語りますが、すぐ隣国のリトアニアには、ホロコーストのさなか国を挙げて殺戮したユダヤ人の終焉の場所がいたるところにあります。

RV: 本を書こうと決めたとき、まずタイトルを思いつきました。『Our People』です。私たちリトアニア人にとって、被害者はユダヤ人ですから「私たち」ではありませんでした。そして加害者も殺人者ですから「わたしたち」ではなかったのです。私が目指したのは、どちらも人間だったということを描くことでした。これまでホロコーストの歴史に関して多くの本が書かれてきましたが、被害者数などが強調されていたと思います。私は、彼らが人間だったこと、そして殺人者も人間だったことを人々に知って欲しいと思いました。

EZ: 私たちは国中を旅して、当時8歳、10歳、12歳、16歳だった子供の目撃者にインタビューしました。彼らは殺戮を見ていたのです。ユダヤ人がどのようにして家から引きずり出され、地面に掘られた穴の前に連れていかれて射殺されたかを、見ていたのです。

RV: どうして自分の国でこんなことが起こったのか…。でも一度起こったことはまた起こり得ます。私たち全員が「人間、Our People』」なのですから。

再び杉原領事について

1997年、私はホロコーストの歴史を伝える人々へのインタビューをまとめた『忘れない勇気』という本を出版しました。その中には、杉原領事のビザで救われたリオ・メラメド氏や杉原領事の伝記を書いたヒレル・レビン教授へのインタビューも含まれていました。

翌年、それを読んだ月刊『論座』の当時の清水建宇編集長から、杉原ビザの意味について記事を書いてみませんかと誘いを受け、私の思いも込めた記事を書きました。20年近く前の記事を久しぶりに取り出して読んでみようと思ったのは、最近二つのニュースに感じることがあったからです。

一つは、今年のHolocaust Remembrance Day(アウシュビッツが解放された1月27日)に、インターネット上で行われた「We Remember」というキャンペーンに、日本政府が投稿したことです。

January 27 is . Chiune Sugihara was a Japanese diplomat during WW2 who saved the lives of thousands of Jews by writing visas for fleeing families. Today, several museums in Japan preserve their stories. Learn more:

リンクされた日本政府のサイトは、日本国内にある杉原氏関連の3つの博物館を紹介し、こう結んでいます。

These museums and the stories they tell call young and old alike, in Japan and from abroad, to reflect deeply and work with courage and kindness for a peaceful, more humane world.

杉原氏の偉業を広く世界の人々に知らせる機会になったと、嬉しく思いました。

しかし数日後、現在のリトアニアで起きているある出来事に関するニュースを読み、深く考えさせられてしまいました。それは、リトアニアがホロコーストの共謀者であったという歴史を書いたリトアニアの女性作家ルータ・ヴァナガイタさんが、国内で非難され孤立しているという内容でした。

イスラエル紙『ハアレッツ』に掲載されたルータさんに関する記事:https://www.haaretz.com/world-news/europe/lithuanian-writer-refuses-to-stay-silent-on-country-s-part-in-shoah-1.5786267

この記事によると、ルータさんは、サイモン・ウィーゼンタール・センターのエルサレム所長で、自分自身もリトアニアで殺害された大叔父を持つエフレム・ズーロフ氏と、リトアニア国内の40か所のユダヤ人殺戮現場を訪ね歩き、それを目撃した地元の老人たちの証言を聞いたそうです。そして公文書館でのリサーチで、彼女自身の叔父や祖父も、ユダヤ人殺戮に関わっていたことを発見します。ナチスとの共謀は、一部の暴徒だけではなく、リトアニア政府関係者や軍なども関わった大掛かりなものだったとルータさんは書きました。

2016年に出版された 『Our People: Travels With the Enemy』は瞬く間にベストセラーになりましたが、年配の人々や保守的なグループからは激しく非難されました。さらに昨年には、ルータさんが、ソ連軍に抵抗してリトアニアの英雄とされている人物が実際はそうでなかった疑いがあると言及したことを発端に、彼女の著書は出版社によって全て書店から引き上げられ、著名な政治家が彼女に自殺を勧めているともとれる意見記事を書くほどの事態になりました。ホロコーストの歴史と真摯に向き合う努力をしてきた西欧の国々に比べて、東欧の国々は未だにホロコースト時の自国の歴史を完全に受け入れていないと、ルータさんは感じています。インターネット上でも彼女への脅迫が続き、外出もままならないそうですが、それでも彼女は、歴史の真実を語り続けると宣言しています。

杉原ビザとの関連でリトアニアの国名を聞くこと が多い日本では、この国で起きた悲劇についてあまり知られていないように思います。

14世紀からユダヤ人が住み始めたリトアニアには100以上のシナゴーグがあり、首都ウィルナスは「北のエルサレム」と呼ばれるほど、ユダヤ文化が花開いた地でした。しかし杉原氏がリトアニアを去った翌年の1941年、ナチスが侵攻し、国内のユダヤ人の95%にあたる22万人が殺害されます。そして多くのリトアニア人がそれに加担しました。

ワシントンにあるホロコースト記念博物館の中でも、3階まで吹き抜けの壁に夥しい数の写真が貼り付けられた Tower of Faces  は感動的な展示です。それらはリトアニアにあったユダヤ人の小さな町の平和な日常を伝えるもので、ポートレート、家族の集まり、友人との語らい、卒業写真など、私たちの家族アルバムに貼られた写真と変わりません。この町は、ナチスの銃殺部隊が住人4千人全員をたった2日間で殺害したとき、数百年の歴史に終わりを告げました。

「死」ではなく「生」を展示することで、ホロコーストによって失われたものの深い意味と、そこから見学者が得るべき教訓を問いかけているようです。

20年前の記事で、私は、杉原ビザについてインタビューした人々のことをこう書いていました。「杉原氏の遺産を受け継ぐということは、自分たちの中にいる“杉原”を常に探し続けることなのだと、これらの人々は気づいている。」

そして、ルータさんがしようとしたことも、まさにそれではなかったのかと思えてきたのです。

私たち日本人も「杉原を誇りに思う」で立ち止まっていては、彼の遺産を真の意味で受け継いでいるとは言えないと思います。

ホロコーストに関する本を書いた後、私自身は18年間、旧日本軍捕虜だった米兵の問題に取り組んできましたが、今は黄ばんでしまった古い記事を読みながら、その歳月の間も、自分が杉原氏からインスピレーションを得ていたことを改めて感じています。

『論座』1998年9月号掲載記事