サイモン・ウィーゼンタール・センター、米大使館エルサレム移転の遅れに失望

2017年6月2日

サイモン・ウィーゼンタール・センター
大使館のエルサレム移転を遅らせるトランプ大統領の決定に深く失望

ユダヤ人の歴史的首都全域に対するイスラエルの統治権に、交渉の余地はありません。過去50年の歴史は、それのみが、聖地における全ての宗教の自由を保証する道であることを示しています。。

「サイモン・ウィーゼンタール・センターは、大使館のエルサレム移転を遅らせるというトランプ大統領の決定に、深く失望しました。トランプ政権は、イスラエル首相が誰であろうが、彼が決してエルサレムの統治権を譲り渡すことはないと、認識しているはずです。エルサレムは分断することのできないイスラエルの首都であり、将来もそうあり続けるでしょう。」著名なユダヤ系人権擁護非営利団体であるサイモン・ウィーゼンタール・センターの館長マーヴィン・ハイヤー師と副館長のエブラハム・クーパー師はそう発言しました。

「私たちは、大統領補佐官が、トランプ氏は今でも、1948年以来アメリカが冒してきた歴史的過ち ――イスラエルが自国の首都を統治する権利を認めない―― を正すつもりでいると強調したことを、心に留めます。」

「来週は1967年の六日戦争から50周年ですが、それは、旧市街地にある全ての宗教の聖地をその信者が自由に訪ねることのできる半世紀でした。それは、アブラハムの伝統を受け継ぐユダヤ教、キリスト教、イスラム教の宗教指導者によって等しく認められ、祝福されるべき事実です。」

「忘れっぽい世界に、思い起こして欲しいのです。いかなる形であれ、エルサレムが再び分断されるようなことになれば、何が起こるのかを。1948年、ヨルダン軍はユダヤ人地区とそのすべてのシナゴーグを破壊しました。彼らは、オリーブ山の(ユダヤ人の)墓石を便所に使い、ユダヤ人が嘆きの壁を訪れることを一切禁止しました。ユダヤ人は、彼らにとって最も神聖な地を、二度と外部の政治・宗教集団に支配させることありません。」

ハイヤー師とクーパー師は、こう結論付けました。

「世界の主要国、バチカン、そしてイスラエルのアラブ隣国が、この紛うことなき事実を一日も早く理解すればするほど、真の平和と和解が達成される日が近づくのです。」

注: 日本の報道では、イスラエルのエルサレム併合が違法とされてきたことが強調されますが、六日戦争でイスラエルが占領するまで、エルサレムがヨルダンによって違法に占拠されてきたことはあまり伝えられません。因みに、六日戦争は、エジプト・シリア・ヨルダンからの差し迫った攻撃に対する、イスラエルによる防衛の戦争とされています。アメリカのニッキー・ヘイリー国連大使が着任に際し、「国連での不当なイスラエル叩きの日々は終わった」と宣言したことも踏まえ、エルサレムの問題も、歴史的背景も含めて深く学ぶ必要があると思います。

ラウ師「友でないものにも救いの手を」

エブラハム・クーパー師が、ホロコースト記念日に書いたエッセイです。

メイール・ラウ師「友でないものにも救いの手を

2017年のヨム・ハショア(ホロコースト記念日)、この日ユダヤコミュニティーは不安と懸念に包まれていました。

米国では、ユダヤの墓地が荒らされたり、コミュニティー・センターに脅迫が届くなど反ユダヤの事件が急増しています。

イギリスでも、政治の場で反ユダヤの思想が影を伸ばしています。

フランスではマリーヌ・ル・ペンが国営テレビの場にて、フランスはヴェル・ディヴ事件の責任を負う必要はないという発言をしました。

*ヴェル・ディヴ事件・・・1942年7月に13,000人以上のユダヤ人がフランスのヴェロドローム・ディヴェール競輪場にて5日間検挙され、その後アウシュビッツなどの強制収容所に連行された。

また、ネオナチグループから卍マークを落書きされたり脅迫電話を受けたりして、ユダヤ施設が閉鎖に追い込まれるという出来事も起きました。それも、ドイツではなく、スウェーデンでこのようなことが発生しているのです。

ある女性は「私の両親は、ホロコースト生還者です。このようなことを目の当たりにすると1930年ごろに逆戻りしたように感じます」と嘆きます。

イランでは、ホロコーストを否定し、イスラエルを壊滅できるミサイルを誇示しています。

それでは私たちユダヤ人は、自分たちのことだけを考えれば許されるのでしょうか。

メイール・ラウ師は首を横に振ります。
ラウ師は大戦後の8歳の時にイスラエルに辿り着いたホロコースト生還者です。

72年経った今、彼はイスラエルはシリアの人々に救いの手を差し伸べるよう唱えます ー例えシリアがイスラエルにとって友とは言えない関係だったとしても。

ラウ師は「これはシリアの人々にとってのホロコーストであり、今日に始まったものではありません。過去6年、彼ら/彼女らはホロコーストの中に生きているのです。化学兵器により何人もの市民が犠牲になっています。歴史上最も迫害されてきた国として、イスラエルは救いの手を差し伸べるべきです」と唱えます。

ラウ師だけではありません。イツハク・ヨセフ師も「シリアでの戦争はもう一つの小さなホロコーストです。70年前ホロコーストが起きた時、大勢のユダヤ人が虐殺されました。世界はそれを目の当たりにして、なお沈黙していたのです。迫害を受けていた私たちユダヤ人はこの沈黙を理解できず嘆きました。ジェノサイドはシリアであろうと何処であろうと、そして誰であろうと許される訳がありません。たとえ友でない者に対してであろうと」と語ります。

それでは、なぜラウ師はホロコーストという言葉を使うのでしょうか。

それはシリアで死にゆく子供たちの姿から、彼が8歳だった頃に見たホロコーストの闇を思い起こさせるからです。もちろん彼はシリアとアウシュビッツでの出来事を天秤にかけることができるとは思っていません。

ナチが起こしたホロコーストは武器を持たない人々の根絶を目的にしていたという点で類をみないものでした。ナチとナチの思想に賛同した国家によって、600万ものユダヤ人が迫害され、餓死に追い込まれ、虐殺されていったのです。

ラウ師がホロコーストという言葉を使う理由、それはホロコーストの”本当の目的” ーユダヤ人の命だけでなく、ユダヤの精神さえも根絶させることーを理解しているためです。

ユダヤの精神 “汝、血を流し苦しむ者に手を差し伸べよ(Lo taamod al dam réakha)”。ラウ師はイスラエルにシリアへの行動を主張することで、このユダヤの精神を想起させています。

ユダヤ人作家、故エリー・ヴィ―ゼル氏は語ります「ここではユダヤの同胞を意味する“akhikha”ではなく、すべての人を意味する“réakha”という言葉が使われているのです。その人がユダヤかどうか関係ありません。すべての人が痛みと恐怖ではなく、希望と尊厳を持って生きる権利があるということを示しているのです。」

ホロコーストを生き抜きイスラエルで暮らし始めた1945年以来、ラウ師は1日1日がナチやすべてのテロリズムから勝利を掴み取ってきた日々であると信じています。ホロコーストからの生還はすべてのユダヤ人にとって勝利である一方で、新たな始まりであると考えています。ナチが根絶やしにしようとしたユダヤの精神を受け継いでいかなければならないのです。

“汝、血を流し苦しむ者に手を差し伸べよ”

新たなヨハム・ショアを迎えた今、この精神こそがユダヤ人を輝かせてきたものであり、この精神こそがユダヤ人が忘れず心に持ち続けなければいけないものなのです。

                       (日本語訳:杉中亮星)

*「深淵より ラビ・ラウ回想録―ホロコーストから生還した少年の物語」
は、ミルトス出版社から刊行されています。

元捕虜レスター・テニー氏の逝去

去る2月24日、元日本軍捕虜で「バターン死の行進」生還者のレスター・テニー氏が96歳で逝去しました。

彼との出会いは1999年春、原爆投下に関してアメリカ側の視点から記事を書こうとしていた私が、大牟田の捕虜収容所から長崎原爆のきのこ雲を目撃したというレスターにインタビューしたのが最初でした。三井三池炭鉱でのつらい強制労働の思い出も語ってくれましたが、日本人への憎しみは全く感じられず、それどころか「日本の若者に僕の体験を語りたいんだけど支援してくれないかな。きっと素晴らしい交流ができると思うんだ。」と頼まれました。

私はレスターとの出会いについて、すぐ友人のエブラハム・クーパー師に知らせました。(レスターは偶然にもユダヤ人でした。)そして、「彼の回想記を読んでみて。きっと会いたくなるから」と言ってレスターの著書「My Hitch in Hell」を手渡したのです。その後私は、クーパー師を連れてまたレスターを訪問しましたが、彼もまたレスターの変わらぬ支援者となりました。

そしてレスターの著書の日本語版が出たとき、クーパー師は表紙に短い推薦文を書いてくれました。

「レスター・テニーは、日本人を憎んだり残酷だと決めつけたりはしない。過去を忘れないことを求め続ける。太平洋の両岸に生きる全ての人々が、かつての出来事を共有し、相互に思いやりにみちた未来をつくり出すために。」

また『文芸春秋』が2006年、「バターン死の行進」に関する歴史修正的記事を掲載した時、レスターともう一人のバターン生還者ボブ・ブラウンをサイモン・ウィーゼンタール・センター「寛容の博物館」に呼んで記者会見を開いてくれたのも、クーパー師でした。

その後クーパー師と私は、日本の政府高官や東京の米国大使館を訪ねるたびに、レスターが目指す「つらい過去であっても、日米の人々がそれを共に学び、友情を深めていく」ことを訴えました。信念に支えられたレスターの努力もあり、目指した多くのことが実現したのは嬉しいことです。

友人を失ったことは悲しいですが、レスターとの友情は、言葉で表せないほど私たちの人生を豊かにしてくれました。

大統領就任式でのハイヤー師の祈り

トランプ大統領の就任式で祈りを捧げたサイモン・ウィーゼンタール・センター館長のマーヴィン・ハイヤー師と、副館長のエブラハム・クーパー師にお会いしました。ハイヤー師は、就任式での祈りに署名して下さいました。

大統領就任式で、ユダヤ教正統派のラビがこのような大役を務めたのは、米国の歴史上初めてだったそうです。


エルサレムのトラックテロ:兵士たちは何故そこにいたのか

1月8日、エルサレムの旧市街地で、パレスチナ人が運転するトラックがイスラエル軍兵士の群れに突っ込み、4人(女3、男1)が死亡し、十数人が負傷しました。死亡者の1人は22歳、残りの3人は20歳だったということです。 (写真は、ネタニヤフ首相のブログから)

c1rvbtzweaamm4r日本の報道は、若い兵士たちがバスで旧市街地に着き、整列しているところだったと伝えました。彼らが研修の一環でエルサレム市街を見学していたと説明した記事もありましたが、それだけでは深い意味は伝わらなかったように思います。

私は昨年の6月にエルサレムを訪れ、滞在中は毎日のように旧市街地に行きました。そのうち一日は、エルサレムに何代にも渡って住んできたユダヤ人だというガイドのローネン・マリク氏と一緒に、歴史も含めていろいろ学びながら、「嘆きの壁」などを見学して歩きました。

そして気付いたのは、あちこちでイスラエル軍の若い兵士のグループも同じように学んでいたことです。一人の若い将校の説明を、5-6人のさらに若い兵士たちが熱心に聞いていました。

ローネンは将校の多くと顔見知りのようで、親しげに彼らに話しかけ、私にも紹介してくれました。そして、高校を出て兵役に就いた若い兵士たちに、ユダヤ人の歴史、イスラエル建国の歴史、建国後の歴史を教え、自分たちが何を守るのか、必要とあれば何のために戦うのかを知ってもらうために、このような研修はとても大事なのだと教えてくれました。

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ガイドのローネン・マリク氏とイスラエル軍兵士、旧市街地ジャファ門で

命を落とした4人の若い兵士たちの冥福を祈ります。

*パレスチナ自治区ガザを支配するハマスは、このテロ行為を、「イスラエルの占領に抵抗する英雄的行為を祝福する」と称えました。