北朝鮮の非核化と人権問題

トランプ大統領は、オバマ大統領がしたように、独裁者との取引のために人権をないがしろにするべきなのか。

マーヴィン・ハイヤー師:サイモン・ウィーゼンタール・センター館長
エブラハム・クーパー師:サイモン・ウィーゼンタール・センター副館長

聖書にはこのような話がある。賢者と評されるソロモン王が、居を共にする二人の女性に言い寄られる。二人はソロモン王に、自分こそが生まれたばかりの男の赤ん坊の母親であり、もう片方の女は、生まれてすぐに死んだ赤ん坊の母親であると主張しあった。

ソロモン王は、それぞれの弁を聞いてしばらく考えたあと、このように命じた。「剣をもって来なさい。生きている赤ん坊を真っ二つに斬り、体の半分をそれぞれの女に与えなさい。」

自分の息子をもう一人の女性に盗まれたと主張する女性は「お願いです、王。赤ん坊は彼女にあげてください。斬るようなことはしないで下さい。」と求めた。しかしもう一人の女性は「赤ん坊がどちらのものであれ、斬って下さい。」と言った。

ソロモン王は、人間が持つ倫理という本能と鋭い知見から「一番目の女に、殺さずに赤ん坊を渡しなさい。彼女こそが赤ん坊の母親だ。」と言った。

ソロモン王のような智賢を兼ね備えた大統領はいない。しかし、歴代の大統領は皆、ソロモン王でも悩みこむような重大な決定を迫られたことがあった。

トランプ大統領と北朝鮮の独裁者である金正恩との間で行われた、歴史的なサミットについて考えてみよう。サミットの表向きの目標は、北朝鮮の安全保障の代わりに、平壌政府が放つ核の脅威を取り除くことであった。サイモン・ウィーゼンタール・センターを含む人権団体は、トランプ大統領は、北朝鮮における宗教の自由や悪名高き強制収容所の封鎖など、人権問題も取り上げるべきだと主張した。

活動家たちは、何百万人もの自国民の人権を踏みにじるような国に、果たしてトランプ大統領は “体制の保障”を与えてもよいのかと問うた。大統領が、サミットで金正恩の悪事を問いたださないどころか彼を褒め称えたことに、深く失望したという声もあった。

しかし公平な目で見れば、トランプ大統領だけでなく先代の大統領たちもこれと同じ、またはそれ以上に劣悪なことをしてきたのである。

バラク・オバマ大統領と当時の国務長官ジョン・ケリーは、神政政治を行うアヤトラ・ハーメネイーのイラン政権と国交を回復することが、アメリカ合衆国にとって最大の国益になるという決定を下した。核の脅威は、それによって何年かは先送りされたが、彼らはその目的のため、イスラムの宗教指導者たちが司る政治からの解放を訴えて抗議するイランの人々の声に、耳を傾けることはなかった。

オバマ政権は、外交的な目的を達成するために、世界でも類をみないほどのホロコースト否定を続け、国家規模で世界のテロリズムを支援する国を正当化し、テヘランに何十億ドルもの金を与えたのである。

オバマ大統領は、危険な行動を広げさせる代わりにイランの核開発を遅らせることが、アメリカの最大の国益になるという結論に至ったと、論じるだろう。

二〇世紀、アメリカはさらに論争になるような決定をしてきた。第二次世界大戦終結後、冷戦の始まりとともに、ヒトラーのナチス政権を倒した以前の同盟国は、次々と敵へと変わっていた。1946年にドイツの戦争指導者に対して行われたニュルンベルク裁判のあと、モスクワ、ロンドン、ワシントンはナチに対する裁判を行おうとしなかった。自国にとって有益と思われるナチ党員たちを取り込むことで忙しかったからだ。リヨンの虐殺者と呼ばれたクラウス・バルビーをアメリカはフランスから匿い、共産主義者を探し出す仕事をさせていた。

自国の安全がソ連からの脅威に晒されていると信じ、アメリカ合衆国は少なくとも88人の悪名高いナチス・ドイツの科学者たちを入国させた。これらの科学者たちのなかには、ロケット開発のために奴隷労働者を使った者や、強制収容所の被害者を神経ガスの実験に使った者もいた。我が国の諜報機関は、これらの戦争犯罪者について司法省に報告せず、ある場合は彼らの戦時犯罪を司法省から隠してさえいたのである。しかし冷戦の真っ只中、もしそのようなことをしなければ、ソ連の更なる脅威にさらされていたであろう。

占領下の日本でアメリカは、悪名高い満州の731部隊で戦争捕虜たちに麻酔なしで行っていた人体実験の結果を共有させてもらう代わりに、ソビエトから戦争犯罪人である石井四郎中将を匿った。

では、トランプ大統領は“安全保障”のために、このような歴史や歴代の大統領たちが行ってきたことを繰り返すべきなのか。それとも、ソロモン王が見せたように、核の脅威を取り除き、同時に人権も保障できるような道があるのだろうか。

実はアメリカは北朝鮮よりもさらに脅威的だった相手に対して、人権を守りつつ、平和の構築を成し遂げたことがある。冷戦時代、ロナルド・レーガン大統領と当時の国務長官ジョージ・シュルツは、核開発競争と人権問題を切り離して見るのではなく、ソ連にいたユダヤ人の自由についての問題をリトマス試験として使い、ソ連の核廃棄への意図を推し量った。最終的には人権が勝ち残り、一発の銃声が響くことなく共産党のシステムは崩壊していった。

アメリカ合衆国は、金正恩の“魅力攻勢”に、融和ではなく検証可能な変化を求めて取り組むべきだ。核試験施設の一か所が爆破されるのを目撃することは重要である。しかし同様に重要なのは、金正恩の強制収容所が閉鎖されることだ。この二つが同時に成し遂げられた時、世界は初めて、朝鮮半島が、平和的統一とすべての人々に希望溢れる未来を拓く道を歩みつつあると、安心することができるだろう。

(日本語訳:杉中亮星)

オリジナルは米議会関係者向け雑誌『 The Hill 』に6月17日掲載

Our People: 被害者も加害者も私たちと同じ人間だった

2年前エルサレムに旅した時、イスラエルの国立ホロコースト記念博物館「ヤドヴァシェム」を案内してくれたのは、サイモン・ウィーゼンタール・センターのエルサレム所長エフレム・ズーロフ氏でした。ニューヨーク出身の彼のルーツは、かつてその首都が「北のエルサレム」と呼ばれたほどユダヤ教の教えと文化が栄えたリトアニアのラビの家系で、彼の名前もホロコーストで殺害された大叔父の名前を貰ったものだそうです。

ヘブライ大学で学んだ後イスラエルに移住したズーロフ氏は、1978年に初めてサイモン・ウィーゼンタール氏に会い、この著名なナチハンターの後継者として今日まで働いてきました。

ズーロフ氏がサインしてくれた彼の著書『Operation Last Chance』には、これまで24か国で520人以上のナチ戦犯を探し出し、それらの何人かがドイツの法廷で裁かれたなどの、活動記録が綴られています。ナチ戦犯が潜む多くの国が非協力的だったこともあり、彼の活動は困難なものでした。

アマゾン:https://www.amazon.com/Operation-Last-Chance-Criminals-Justice/dp/0230108059

ズーロフ氏は数年前、リトアニアの女性作家ルータ・ヴァナガイタさんと一緒に、22万人(当時のユダヤ人口の95%)のユダヤ人が殺害されたリトアニア国内の跡地を訪ね歩きました。自分自身の家族も含めて多くのリトアニア人が殺戮に加担したことを知ったヴァナガイタさんは2016年、『Our People:  Travels With the Enemy 』という著書を出版しました。当初はベストセラーになったものの、その後国内で非難の声が大きくなり、以前は国民的人気作家だったヴァナガイタさんですが、現在は孤立しているそうです。

先ごろヘブライ語版が出版されたそうで、イスラエルの新聞『Haaretz』にズーロフ氏とヴァナガイタさんがビデオで紹介されたことを、ズーロフ氏が知らせてくれました。ヘブライ語が分からない私のために英語訳も送ってくれましたので、それを日本語に訳しました。

כל הארץ היא אתר רצח אחד גדול

"אנשים נהיו חיות רעות": בשעה שפולין נסוגה מהתמודדות עם עברה, במדינה השכנה ליטא, לא התחילו לעשות את זה בכלל. המדינה לא עיכלה מעולם כיצד רבבות מבני העם הליטאי קמו יום אחד לרצוח מאתיים אלף משכניהם היהודים, במקרים רבים – מבלי שהיה חייל גרמני אחד בסביבה. ספר חדש, שעוסק בכך בצורה שנועדה "להעיר את הקוראים", מטלטל כבר שנתיים את המדינה והחברה הליטאית. האנשים שעשו את זה היו ברובם המוחלט אנשים רגילים לגמריhttps://www.haaretz.co.il/gallery/literature/.premium-1.5820545

Haaretz הארץ‎さんの投稿 2018年2月18日(日)


リトアニア人作家ルータ・ヴァナガイタとナチハンターのエフレム・ズーロフが、
リトアニアが忘れ去りたい物語を綴った著書

EZ:これまで40年間世界中のナチ戦犯を追いかけてきましたが、今回は私個人にとっても大切なプロジェクトとなりました。私の祖父も祖母もリトアニアで生まれました。私は、ホロコースト時のリトアニアユダヤ人の運命が決して忘れ去られることがないようにしたかったのです。

RV: 私はホロコーストについてほとんど何も知りませんでした。ユダヤ人の友人も先生もいませんでしたから。でも、私自身の親類の何人かも間接的にであれ殺戮に加担していたことを知り、きっと多くの人々の家族も関わったに違いないと思いました。

EZ: 人々は最近ポーランドで成立した法律のことばかり語りますが、すぐ隣国のリトアニアには、ホロコーストのさなか国を挙げて殺戮したユダヤ人の終焉の場所がいたるところにあります。

RV: 本を書こうと決めたとき、まずタイトルを思いつきました。『Our People』です。私たちリトアニア人にとって、被害者はユダヤ人ですから「私たち」ではありませんでした。そして加害者も殺人者ですから「わたしたち」ではなかったのです。私が目指したのは、どちらも人間だったということを描くことでした。これまでホロコーストの歴史に関して多くの本が書かれてきましたが、被害者数などが強調されていたと思います。私は、彼らが人間だったこと、そして殺人者も人間だったことを人々に知って欲しいと思いました。

EZ: 私たちは国中を旅して、当時8歳、10歳、12歳、16歳だった子供の目撃者にインタビューしました。彼らは殺戮を見ていたのです。ユダヤ人がどのようにして家から引きずり出され、地面に掘られた穴の前に連れていかれて射殺されたかを、見ていたのです。

RV: どうして自分の国でこんなことが起こったのか…。でも一度起こったことはまた起こり得ます。私たち全員が「人間、Our People』」なのですから。

ユダヤ人の歴史

1984年、4歳と3歳の子供を育てながらシカゴの大学に通っていた頃、公共テレビ PBSが放映した「Heritage: Civilization and the Jews」という9時間のドキュメンタリーを観たことがあります。聖書の時代から中世、近代、そしてホロコーストの悲劇を経てイスラエル建国に至るユダヤ人の歴史が、同時に人類全体の文明にどのような影響を与えたのかを、豊富な写真や興味深い資料で織りなした一大絵巻とも言うべき内容でした。シリーズを通して語り部を演じたのは、建国間もないイスラエルの国連大使、駐米大使、後に教育文化大臣、外務大臣を務めたアバ・イバン氏で、ケンブリッジ大学卒の学者であった彼の語り口は、簡潔で分かりやすい英語でありながら、格調の高いものでした。

このシリーズは当時5千万人以上が観たとされ、エミー賞やピーボディ賞などを受けました。私自身も深く印象付けられ、コンパニオンブックとして出た同名の著書を買い、折に触れて読んだものです。

その後10年ほどしてロサンゼルスに引っ越し、その地のユダヤ人指導者の数人と親しくなりました。その中の一人で、日露戦争時、日本に資金援助をしたジェーコブ・シフなどが設立した歴史あるユダヤ人団体 American Jewish Committee の西部地区代表ニール・サンドバーグ博士と、このドキュメンタリーの話をしたことがあります。そしてサンドバーグ博士が、日本人のユダヤ人理解を助けたいと、このドキュメンタリーをNHKで放映して貰うためにずいぶん努力したが結局実現しなかったことを、知りました。反ユダヤ的本がベストセラーになり、ホロコースト否定の記事さえ出る日本でこそ、このドキュメンタリーが放映されて欲しいと思っていた私も、その話を聞いてがっかりしたことを覚えています。

それからさらに20年以上が過ぎ、 今では「Heritage: Civilization and the Jews」の全編が Youtube で観られるようになりました。
(以下は第1話ですが、第2話以下もYoutube で検索可能です。)

つい最近では、サイモン・ウィーゼンタール・センターがユネスコと共同で制作したパネル展示「「民、聖書、その発祥の地:ユダヤ人と聖地の3500年にわたる繋がり 」が、東京で開かれました。着任したばかりのイスラエル大使ヤッファ・ベンアリ氏や松浦晃一郎 元ユネスコ事務局長、数人の国会議員も挨拶し、日本とイスラエルの間の理解を深めるこのような教育啓蒙活動の大切さを訴えました。

          
ヤッファ・ベンアリ大使      松浦氏・中山泰秀議員・クーパー師

特筆すべきは、この展示もPBS のドキュメンタリーも、イスラム教の誕生、それがやがて中東全域・北アフリカまで広まり豊かな文化を生み出したこと、その間ユダヤ人が身分は劣位であっても自らの宗教に従って生きることを許されていた歴史を、正確に伝えていることです。

一方、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長はつい先ごろ、中央委員会の演説で、「イスラエルは植民地プロジェクトであり、ユダヤ人とは何の関係もない」と宣言しました。それ以前にも、パレスチナは国連やユネスコに、ユダヤ人と聖地エルサレムの歴史的繋がりを否定し、イスラエル国家の正当性に挑戦する決議案を通させることに、成功しています。これらの決議案の幾つかに日本も賛成票を投じていることが、残念です。

パレスチナ側がイスラエル国家の存在を認めていないこと、ガザを統治するハマスがイスラエルの壊滅を目指す憲章を掲げていることも、日本ではあまり知られていません。

日本政府は最近、和平交渉の仲介役になる用意があることを表明しましたが、古代からの長い歴史と、イスラエル建国後の近代の歴史を正確に踏まえ、誠意ある建設的な役割を果たしてほしいと願います。

メラメド氏と表彰されました。

 

先日、80年代から90年代にかけて10年近く家族とともに住んでいたシカゴに、娘と旅しました。ユダヤ系人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センターがシカゴで開催したイベントで、「勇気のメダル」という賞を授与されたからです。



受賞挨拶、センター館長のマーヴィン・ハイヤー師と副館長のクーパー師と

当日のメインゲストで、センターの国際指導者賞を受けたのは、シカゴ・マーカンタイル取引所の名誉会長で、杉原ビザで救われたリオ・メラメド氏(85歳)でした。

このような形で彼と再会するとは、26年前彼に初めて会った時は想像さえしていませんでした。1991年の夏、日本のあるビジネス雑誌の依頼で、私は、彼にインタビューをすることになりましたが、先物取引のことなど全く分からないまま、何とかなるかと彼のオフィスを訪ねました。でもその出会いは、思いもかけない展開に繋がっていったのです。彼が杉原ビザで救われたことが分かったからです。当時は杉原千畝氏の人道的行為はまだあまり知られていなかったのですが、私はユダヤ人と結婚した友人から偶然聞いて知っていました。。

メラメド氏との出会いで、ユダヤ人の歴史、特にホロコーストに興味を掻き立てられた私は、その後ロサンゼルスに引っ越してから知り合ったサイモン・ウィーゼンタール・センター副館長エブラハム・クーパー師の励ましもあり、1997年にホロコーストに関するインタビュー集「忘れない勇気」を出版しました。メラメド氏にも改めてインタビューし、彼のストーリーもその本の一章となりました。

リオ・メラメド氏と

ホロコーストの教訓を伝える人々にインタビューする過程で友人となった数人から、「あなた自身の国の歴史に向き合うことも大切ですよ」と何度か言われました。そしてその言葉通り、その後私は、旧日本軍の捕虜だったアメリカ兵たちの問題に取り組むことになり、20年近い年月が過ぎていきました。40%が死亡するほどの過酷な扱いを受けた捕虜たちは、半世紀以上が過ぎても、日本政府からも、彼らに強制労働を課した日本企業からも、謝罪を受けていなかったのです。奪われた尊厳と正義を取り戻すための彼らの闘いは、やがて私自身のものとなっていきました。元捕虜と一緒に活動し始めてから日本政府の謝罪を得るのに10年、日本企業の一社から謝罪を得るのに15年の歳月が流れました。今はほとんどが故人となってしまいましたが、かけがえのない友人となった元捕虜たちとの思い出はつきません。

かくも長い間活動を続けられたのは、元捕虜たちからのあふれるような友情があったことはもちろんですが、どんな時も励まし続けてくれたクーパー師、そしてさらに遡れば、メラメド氏との出会いがあったからだと思います。彼は生きることの意味を(彼の場合はその命を杉原氏によって救われたのですが)、自伝の中に書いています。父親に、著名なイディシュ作家の公演会に連れていかれた10歳のメラメド少年は、「無限に生きる唯一の道は、有限を超越する何かのために生きることです。そしてその何かとは、“理想”です」という言葉に打たれました。メラメド氏は、その後の人生をその言葉を忘れずに生き、つい最近日本から旭日重光章を受けました。

私にとってシカゴは、二人の子供を育てながら勉強し、メラメド氏とも出会えた以外に、もう一つ特別な意味のある場所です。メラメド少年と彼の両親は1941年にシカゴに辿り着きましたが、その地から間もなくフィリピンに派兵される運命にあったユダヤ人の若者が、レスター・テニーでした。レスターの部隊がマニラに到着して数週間後、日米開戦となります。米比軍は、本国からの援軍がないまま圧倒的な日本軍に抵抗して戦いましたが、翌年4月9日バターン半島で、一か月後にはコレヒドール島で降伏、米国軍史上最多数の将兵が捕虜となりました。レスターは「バターン死の行進」を歩かされた後、日本に送られ、終戦まで大牟田市の三井三池炭鉱で強制労働に就かされたのです。

終戦翌年の1946年に結成された元日本軍捕虜米兵の会は、63年間活動を続け、2009年に解散しましたが、レスターはその最後の会長を務めました。私とレスターは、今年の2月に彼が96歳で逝去するまで18年間、一緒に活動を続けました。前半は、失望とフラストレーションの多い年月でしたが、後半は、日本との和解活動が始まり、充実した日々となりました。

レスター・テニー氏と

サイモン・ウィーゼンタール・センターは今回の表彰で、私が、ホロコーストとユダヤ人に関する理解を日本人に広める努力をしたことに加え、元捕虜と日本人の和解に貢献したことにも触れてくれました。レスターの生まれ故郷でメラメド氏とともにその賞を受けながら、彼が生きていたならどんなに喜んでくれただろうと、思わずにはいられませんでした。

(このエッセイは、拙著『旧アメリカ兵捕虜との和解』を出版してくださった彩流社のサイト「ほんのヒトコト」に掲載されたものです。)

宗教への寛容に関するバーレーン王国宣言

9月13日、バーレーンの ナサー・ビン・ハマド・アール・ハリーファ王子は、サイモン・ウィーゼンタール・センターが開催したロサンゼルスでの式典で、父親の国王が発表した以下の宣言に、マーヴィン・ハイヤー師や他の宗教指導者と共に署名しました。

09/13/2017 – LOS ANGELES, CALIF: Bahrain’s Prince Nasser bin Hamad Al Khalifa and Rabbi Marvin Hier, the dean and founder of the Simon Wiesenthal Center, with interfaith leaders during the signing of The Bahrain Declaration on Religious Tolerance – authored by King Hamad of Bahrain at an historic event at the Beverly Wilshire Hotel. PHOTOGRAPH BY MONICA ALMEIDA

バーレーン王国宣言

“無知でいる限り平和は築けません。私たちは慈愛と恭敬のゆるぎない信条のもと、互いに学び、分かち合い、そして共生していかなければなりません。”

バーレーン王国 ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ国王

バーレーン王国では何百年もの間、異なる宗教を信じる者たちが、自らの信仰を行いながら互いに敬意を払い、平和に共生してきました。

私たちは、ここに、異なる宗教が平和に共存できた我が王国の何世紀にもわたる伝統的価値観を、他の人々にも見習って頂きたい例として提唱します。

1.宗教の信仰と表現
私たちは、今まで宗教が、人々の間に幸福をもたらし分かち合われるためのもっとも大きな源であったことに、感謝します。

国際社会は、宗教の信仰と表現が人類の基本的権利であると認めています。しかしながら、現在も、そして歴史を見ても、宗教は憎しみと軋轢を広めるための手段として使われたこともありました。

宗教が人々を救うためではなく、絶望を生み出すために利用されてきたのです。私たちは、宗教のあるべき姿と間違った姿を見分けることを学ぶことから、この問題への取り組みを始めます。そして、異なる宗教間の対話と知恵の共有を通してのみ、宗教はより深い理解と啓発につながると私たちは信じます。

私たちは、過激な思想のもとに憎しみと暴力を説き、軋轢の種を蒔こうとする行為は、神への冒涜であることを宣言します。

2.選択の自由
私たちは、神は人々に宗教の選択の自由を授けられたと信じ、神との本当の関係は強制されながら行う信仰からは生まれないことを宣言します。

よって私たちは、信仰の強制を強く拒絶します。

また私たちは、他者に害を与えず、法を遵守し、自らの選択に物心両面で責任を持つのであれば、すべての人間に信仰を行う自由があることを宣言します。

3.神の意志の解釈
私たちは、異なる宗教において神の意志の解釈に違いがあることを認めますが、正しい宗教は神の名のもとに罪のない人々に対する暴力を正当化することは一切ないと、信じます。神の名のもとに正当化する暴力は神の意志の達成ではなく、神への冒涜です。

よって私たちは、人々の良心に反した非道徳的な行為によって神の意志を果たすことはできないと宣言します。また私たちは、良識ある全ての人々に、女性・子どもへの虐待や性奴隷としての搾取、自爆テロや過激派思想の拡大などの恐怖を生み出す信仰行為を、拒絶することを求めます。

4.宗教の権利と責任
私たちは、神が、宗教的にも世俗的にも権力ある地位にいる者により多くを求めていることを、認めます。全ての宗教の信者が、共に集まって礼拝し、教養を身につけ、祝い、そしてそれぞれの信仰が求めている行為を行う権利を、与えられるべきです。

少数派・多数派に関わらず平等に宗教を守り、敬意を払うことは政府の責任です。何人も、信じる宗教が理由で、恐怖や羞恥、不安を煽られることや差別の対象になるようなことは、あってはなりません。権力ある地位にいる者は、個人が脅迫や暴力などの恐怖を感じることなく信仰を行うことができるよう、保証しなければなりません。

また、すべての宗教とそのコミュニティーは、過激な思想が中庸な思想より聖なるものでは決してないことを示す、特別な責任があります。

よって私たちは、協力と恭敬を育む包含的環境を作るため、私たち一人一人が積極的に行動していく必要があると宣言します。

5.信仰の希望
私たちは、神のご意志のもとに優しさと思いやりの行動を行うことで、世界に神の善を呼び覚ますことを、私たちの行動を通して子どもたちに教え示していくことを誓います。

私たちは、私たちを分断するものを拒絶し、その代わりに、誠実な人々が共に結束し、祝し、信仰を行うことができる世界のために行動していきます。そうすれば私たちは、信仰の大きな力を結び、全ての人がご加護を受け、愛と恭敬のもとに生きていくことができる平和な世界を築くことができるのです。

この地域(中東)から三つのアブラハムの宗教が生まれました。

そして、それらの信条は、この地を、それぞれ異なる宗教を信じる世界中の多くの人々の拠り所にしたのです。

よってわたしたちは、宗教を持ち、宗教を説き、そして人々に大きな影響を与える者として、宗教が全ての人々への祝福となり、世界平和の基礎となるよう、あらゆる努力をすることをここに宣言します。

信仰は平和への道を照らす

バーレーン王国 ハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ国王
2017年7月3日

                         日本語翻訳;杉中亮星