ゴラン高原への旅: IDF「良き隣人作戦」

5月初め、2年8か月ぶりでイスラエルに旅行しました。私が昨年翻訳した『障がい児と家族に自由を ―イスラエルの支援施設シャルヴァの夢』の著者カルマン・サミュエルズ師とご子息のヨシさんに会えたことや、若い頃日本で空手を学んだダニー・ハキム氏と一緒に大統領夫人に会ったことなど、滞在中の思い出についてはウェブマガジン『ISRAERU』に書かせて頂きました。

今回のイスラエル旅行のもう一つの目的は、ゴラン高原にエイアル・ドロア中佐を訪ねることでした。ドロア中佐は数年前まで、イスラエル国防軍(IDF)のシリア人支援「良き隣人作戦」を指揮した人物で、現在は退役し、このIDF史上最大規模の人道支援作戦について語り継ぐ活動をしています。2年前、私が住む南カリフォルニアの町の大学で彼が講演した時に知り合い、その後折に触れてメールやズームで語り合って来たのですが、今回作戦が行われた場所を彼が案内してくれることになったのです。二人の友人(日経新聞エルサレム支局で長く働いたエリ・ガーショウイッツ氏とダニー)と一緒に、早朝からゴラン高原に向かいました。

途中、エリのお嬢さんが兵役を務めている基地に立ち寄り、彼女の話を聞きました。英語が堪能な彼女は、高校卒業の資格を持たないIDF兵士向けの授業を教えているとのことで、そのプログラムは、それらの若者たちが兵役を終えた後は高校卒業の資格を持って社会に出ていけるよう、IDFが提供しているのだそうです。そしてそれを受ける期間も兵役年数に組み込まれるそうで、感心しました。それにしても、お嬢さんの軍服姿を見つめるエリの誇らしげな、そして面会時間の終了が近づき彼女を何度も抱きしめる様子に、兵役中の子供を持つイスラエルの父親の思いを垣間見る思いでした。

ゴラン高原はイスラエル北東部シリアとの国境沿いにあり、1967年の六日戦争でイスラエルが占領し、その後1981年からイスラエルの行政と法律が適用されています。国連はこの併合を違法としてきましたが、2019年トランプ政権がゴラン高原におけるイスラエルの主権を認め、バイデン政権も、シリア国内のイラン武装勢力の脅威などを考慮し、それを翻していません。(日本ではあまり論じられませんが、六日戦争がエジプト・シリア・ヨルダンなどによるイスラエル攻撃寸前に起こされた自衛的戦争であったこと、長年併合を違法としてきた国連が極端な反イスラエルであることなども考慮されるべきです。米国が主権を認めた背景には、これらの理由もあったのではないかと思います。)

「良き隣人作戦」は計画的に実行されたものではありませんでした。それは2013 年の冬の夜、内戦で傷ついたシリア市民がイスラエル国境に近づいてきた時、現場にいたイスラエル部隊が人道的見地から地域の病院に運び、治療を施したことに端を発しています。(病院側の対応に関しては「敵国人に医療を施したイスラエルの病院を訪ねて」に書きました。)

幼い時からイスラエルを悪魔のような国と教えられて育った人々が、その国に救いを求めてくるほど、シリア市民は内戦で絶望的な状況に追い込まれていたのです。そしてその後、人づてに聞いた多くのシリア人がやってくるようになりました。当初は秘密裏に行われていた活動でしたが、イスラエル国防軍の上層部が本格的な支援作戦として部隊を編成することになりました。

そしてその指揮官に抜擢されたのが、西岸やガザでイスラエル国防軍とパレスチナ側との連絡調整を担うCoordination of Government Activities in the Territories (COGAT) で長年勤務してきたドロア中佐でした。父親や伯父などが職業軍人の家系に生まれた彼は、高校の頃からアラビア語を学び、COGOTでの任務で多くのパレスチナ人同僚と仕事をしたことから、アラビア語が堪能です。そのこともおそらく抜擢の理由の一つだったのでしょう。そしてドロア中佐にとって「良き隣人作戦」を指揮したことは、彼の人生を変える出来事だったと言います。

作戦は人道的目的だけでなく、国境沿いのシリア人の敵対心を緩和するという戦略的目的もありました。しかし、凍り付くような夜に親に連れられて裸足で国境に近づいて来る子供たちを見た時、自分にも3人の子供がいるドロア中佐は、胸が張り裂けそうだったと言います。そして最初は笑うことのなかった子供たちが、イスラエルの病院で治療を受け、おもちゃを貰い、やがて笑顔を見せるようになっていくことが、何より嬉しかったそうです。しかし、10歳位の男の子に「大きくなったら何になりたい?」と聞いた時、「僕は大きくならない。その前にきっと死ぬ。」という答が返ってきたことに衝撃を受けたこともありました。ドロア中佐は、数か月かの治療を必要とした女の子がそれを終えて帰国する時、感謝を込めて描いてくれたイスラエル国旗を今でも大切にしていて、講演の度にそれを見せます。私も彼に初めて会った時、見せて貰いました。

2016年に始まった「良き隣人作戦」は、アサド政権がシリア南部を再制圧する2018年まで続けられました。その間国際NGOの協力も得て、1,400人の子供を含む4,500人のシリア市民に治療を提供。また国境のシリア側に産院を設置し、そこで約1,000人の子供が生まれたそうです。支援は医療だけにとどまらず、食糧や燃料や衣類などの生活物資も700回に渡る搬送でシリア側に届けられました。やがて作戦は広く知られるようになります。当時シリア内にいたISIS やアルカイダなどの要員が市民になりすまし、国境で作戦に携わるイスラエル兵士を襲う可能性も常にあったそうです。そのような状況下で緊張感を持って遂行された作戦を、最後まで一人の死亡者も出さずに終えたことを誇りに思うと、ドロア中佐は語ってくれました。また、彼が指揮して助けたシリアの子供たちは決してそのことを忘れないだろうと、信じているそうです。

ドロア中佐が「良き隣人作戦」について語り継ぐ活動をするようになってから、さまざまなグループが、ゴラン高原に彼の説明を聞きに来るようになりました。イスラエル国防軍の若い将兵たちはもちろん、アブラハム合意が結ばれてからは湾岸国の関係者も訪れたそうです。アラブ首長国連邦から来たグループは、ドロア中佐の説明を聞き涙を流したということですが、彼らがその後、その体験をアラビア語のソーシャルメディアで伝えたことの影響は計り知れません。またハーバード大学ビジネススクールの学生達も話を聞きに来たそうで、この作戦が、長期的目的を持つことの重要さ・現実に沿った遂行・指揮官の指導力など、多くの教訓を学べるケーススタディになっていることを知りました。

イスラエル国内や海外のメディアでも数多く報道され広く知られるようになった「良き隣人作戦」ですが、ドロア中佐によれば、日本のメディアからの取材は一度も受けたことがないそうです。イスラエルから日本に伝えられるニュースはポジティブなものが少ないので、このようなエピソードこそ報道して欲しいのに、残念です。

24年間勤務したイスラエル国防軍から2019年に引退したドロア中佐は、その後の時間を家族と過ごすこと・博士号を取ること・「良き隣人作戦」に関する本を書くことに費やしてきたそうです。私たちを案内してくれた日、国防軍との共同出版が決まったという連絡が入り、一緒に喜びを分かち合うことができました。英語版も考えているということで、将来は日本語版も出て、この稀有な作戦が多くの日本人に知られることを期待したいと思います。

シリア側を見渡せるゴラン高原のベンタル山で

反イスラエル ダーバン会議20周年:      日本はボイコットを

エブラハム・クーパー
徳留絹枝

世界中のユダヤ人は、東京オリンピック開会式において、1972年ミュンヘン大会でパレスチナ人テロリストに殺害された11人のイスラエル人選手に追悼の黙祷が捧げられたことに、深い感動を覚えました。犠牲者の家族が49年間待ち望んできたことをようやく実現して下さったオリンピック競技大会組織委員会に、感謝します。

また、同委員会が、過去にナチスのホロコーストを揶揄した開会式演出担当者を解任したことも、迅速で適切な対応でした。

今回の大会は、世界がコロナ感染の大流行に見舞われる中で、希望と勝利の瞬間をもたらしました。

そして私たちは今、日本が外交の舞台でリーダーシップを発揮することも必要としているのです。

今年の9月は、2001年に南アフリカのダーバンで開催された「人種主義、人種差別、外国人排斥及び関連する不寛容に反対する世界会議」(ダーバンI)」から20周年になります。

ダーバン会議の目的は、国連決議52/111によれば、既存の人種主義、人種差別、外国人排斥および関連のある不寛容を見直し、それらに対して、国家、地域、および国際的な行動的措置を講じる具体的な提言を行うことでした。

しかし会議は、ユダヤ人国家に反対するNGOによって乗っ取られ、反イスラエルの憎悪イベントに退化してしまいました。

国連本部で9月に開催予定の20周年会議(ダーバンIV)でも、すでに世界に蔓延する反ユダヤ主義の火に油を注ぐような、憎悪のアジェンダが進められることが予想されます。

私たちは、日本が、米国・カナダ・英国・ドイツ・オーストリア・オーストラリア・ハンガリー・オランダ・チェコ・イスラエルに加わり、国連で開催されるこの不適切なイベントをボイコットすることを、強く求めます。

サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)は、茂木敏充外務大臣に対し、この不運な会議の20周年行事に日本は参加しないと宣言して頂くよう、正式に要請しました。そしてその手紙の中で、2001年のダーバンで何が起こったかを説明しました。

「“ダーバン宣言”と“行動計画”を採択したその会議は、前例のない反ユダヤ主義・反イスラエル・ホロコースト否定の憎悪の祭典となり、その結果、ホロコースト生還者故トム・ラントス下院議員が率いる米国代表団は退場することになりました。」

クーパー師を含むSWCの代表者は、イランの使節団一行から暴言や暴力を受け、ユダヤ人一行は、警察から、「ヒトラーは正しかった!」などというサインを持って集まった2万人の抗議者が押し寄せる中、外に出ないよう警告を受けました。ダーバン会議は、「イスラエル=アパルトヘイト」という大嘘が生まれた場所でもあります。

故トム・ラントス下院議員は、報告書「The Durban Debacle: An Insider’s View of the World Racism Conference at Durban」の中で、米国政府は、会議がイスラエルを不当糾弾する場になるのを防ごうとしたが、成功しなかったと書きました。

彼は「米国の外交官は、EU・カナダ・日本・オーストラリアなど、我々の最も親密な民主主義同盟国に支援を求め、会議を歪めようとする勢力に対抗する統一戦線を形成しようとしたが、厳しい抵抗に遭った」と振り返っています。


  2001年のダーバン会議に参加した米国代表一行:トム・ラントス下院議員
  パレスチナテロ被害者、SWCのクーパー師とシモン・サミュエルズ博士

しかしダーバン会議の崩壊後、2009年に開催された再検討会議(ダーバンII)では、米国の民主主義同盟国を含む10カ国がそれをボイコットしました。日本は出席しましたが、イランのアフマディネジャド大統領がイスラエルを「最も残酷で抑圧的な人種差別主義者の政権」と呼んだ演説を批判しました

ジュネーブの国連欧州本部で開催されたその会議で、クーパー師は、イラン大統領の上級補佐官が、ホロコースト生還者でノーベル平和賞受賞者のエリ・ヴィーゼル氏に面と向かって、“シオニストナチ”と何度も罵倒するのを目撃しました。

それでも日本は、2011年に開催された10周年会議(ダーバンⅢ)に、14カ国がボイコットする中、再び出席しています。

2020年東京オリンピックは、コロナの中でさえ、私たちが繋がり合っていることを世界に思い出させました。日本船籍でイスラエルの海運会社が航行させていたオイルタンカーをイランのドローンが攻撃し、英国人1人とルーマニア人1人が亡くなったと伝えられた事件も、平和な国際社会を脅かし湾岸地域を戦争に引きずり込もうとする勢力があることを、厳然と突き付けました。

ダーバン会議20周年が近づいた今、私たちは、日本が、ダーバンIVをボイコットすることを正しくも選択した多くの民主主義国に加わることを、強く求めます。

そうすることにより、日本は中東の過激派に打撃を与え、世界各地でヘイトクライムとの難しい戦いを強いられているユダヤ人を支援することになるでしょう。

後記:結局日本はダーバン20周年会議に参加しました。

エブラハム・クーパー師
40万人のメンバーを擁するユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部:ロサンゼルス)の副所長。 Global Social Action ディレクター

徳留絹枝(とくどめ・きぬえ)
著書に『旧アメリカ兵捕虜との和解:もうひとつの日米戦史』、『忘れない勇気』、『命のパスポート』(エブラハム・クーパー師と共著)など。
最新翻訳書 『障がい児と家族に自由を ―イスラエルの支援施設シャルヴァの夢』

* この記事の英語版は2021年8月6日、The Mainichi に掲載されました。

Interview with Rabbi Kalman Samuels

By Kinue Tokudome

Rabbi Kalman Samuels is the Founder and President of Shalva, the Israel Association for the Care and Inclusion of Persons with Disabilities.

The Japanese version of this article was published in the February 2021 issue of “Myrtos” magazine in Japan.

障がい者支援施設「シャルヴァ」 の夢: カルマン・サミュエルズ
『みるとす』2021年2月号


Shalva National Center in Jerusalem

Tokudome: First of all, thank you very much for allowing me to translate your beautiful and inspirational memoir, Dreams Never Dreamed.

The book contains so many moving episodes—your awakening to Judaism while traveling to Israel as a college student from a secular family in Vancouver, marrying a very religious 18-year-old daughter of a Holocaust survivor, having your healthy 11-month-old son, Yossi, lose his vision and hearing because of faulty vaccination, your struggle to find a way to help Yossi, seeing the breakthrough in Yossi’s ability to communicate, the legal fight against those who were responsible for Yossi’s injury, opening and expanding of Shalva in spite of many obstacles along the way, being blessed with generous donors, and overseeing Shalva that has become a world-renowned center for children with disabilities and their families based on the philosophy of inclusion.

What kind of experience was it for you to write this book, revisiting all these episodes over the years, some of which were very painful?

Samuels: Several years after Yossi was injured, I found myself living in New York with a family of very young children and working long hours in the computer field to make a living.   My goal was to help my dear wife Malki with anything and everything I could do to ease her physical and emotional burdens. That included caring for the children before I left for the hour-long subway trip from Brooklyn to Manhattan each morning, and upon returning after 6 PM, spending time with each child and helping to put them to sleep.   After that, I required time to study and enhance my professional computer knowledge.

Malki had enormous pressure and responsibilities and I did not wish to add to her burdens with my thoughts and concerns.   So I began recording those thoughts and feelings in a late night diary, and in some way this was my therapy.  As Shalva developed I found myself sharing many of the stories with friends and donors and realized that they found them to be of great interest and most meaningful.

I finally decided to share the stories behind the Shalva story in an organized manner in book form.   It was a most challenging and trying experience to relive it all in great detail and organize it on paper but I am pleased that I wrote it.  


Courtesy of Shalva

Tokudome: Those who read this book find out that the real driving force behind Shalva is Malki, your wife. Was she also involved in the writing process for this book?

Samuels: Malki has always wanted to stay under the radar, far from the public eye.  My desire to write a book was extremely difficult for her because clearly, I would have to write about her, but she recognized how important it was for me and allowed me to write it.

I consulted with her on delicate topics but she has not read the book and probably never will.

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菅首相は安倍首相の中東政策の成果を引き継ぎ、推し進めよ

安倍首相のイスラエルへの前向きな取組みと外務省のアプローチに大きな違い

エブラハム・クーパー、徳留絹枝、テッド・ゴーヴァー
2020年10月5日

 Rabbi Abraham Cooper,  Kinue Tokudome,  Ted Gover

日本の新首相である菅義偉氏は、前任者の安倍晋三氏の中東政策の遺産を受け継ぎさらに発展させるとともに、日本の中東政策に必要な幾つかの変更を実施する機会に恵まれています。

日本は30年近くにわたり、ヨルダン川西岸とガザのパレスチナの人々への経済的・社会的開発援助を通じ、中東で重要な役割を果たしてきました。 1993年以来、日本は、農業・経済開発・難民支援・医療サービスを促進するパレスチナのプログラムに、$1.7 billion(約1,800憶円)以上を惜しみなく寄付してきています。

これらの重要なイニシアチブが、パレスチナの多くの人々の生活の質を改善させるのに役立ったことは、疑いありません。

さらに安倍首相のリーダーシップの下、日本は、イスラエルの人々への経済的および地政学的関与を拡大しました。 2015年に安倍首相がイスラエルのヤドヴァシェムホロコースト記念館で行った歴史的なスピーチは、日本と世界中のユダヤ人コミュニティとの間の信頼を高め、日本が中東においてさらに大きく、よりバランスの取れた役割を果たす契機となりました。

しかし、近年の日本のイスラエルへの友好的働きかけが歓迎すべき進展である一方、それは、日本の国連におけるイスラエルに関する公式の立場と一致していません。入植地問題からガザの緊張、ゴラン高原領有問題に至るまで、国連における日本の外交姿勢は、日本ともイスラエルとも価値観を共有しないレジームと協調し合うものです。

安倍政権下では、彼のイスラエルへの前向きな関与と、外務省のユダヤ人国家に対する非協力的政治姿勢との間に、著しい違いがありました。安倍首相のイスラエルに対する前向きな取り組みと外務省の中東に対する時代遅れのアプローチとの明白な違いは、この地域の地政学的な利害関係と新しい現実を考えるとき、懸念の材料でした。

菅首相の新政権には、この状態に必要な修正を加える機会が与えられています。今がそのタイミングです。

ここ数ヶ月、中東の力学は大きく変化しました。イランの相変わらずの好戦的姿勢とパレスチナの頑なさの中にあって、イスラエルは、アラブ首長国連邦とバーレーン王国と歴史的な和平協定を結びました。これらの協定は、アラブ人とユダヤ人の間に無限の可能性を解放しつつあります。そして日本の外務省にも、時代に合った新しいアプローチを採用するよう、働きかけることが期待されています。

重要なことは、イスラエルに対する外務省の見解が、両国が民主主義と自由市場経済を標榜し、利益と価値観を共有している事実と矛盾していることに、気付くことです。たとえば、両国間で拡大する商業関係を考えてみましょう。当初それほどではなかったものの、近年の日本とイスラエルの企業間の関係は、特にハイテク、サイバーセキュリティ、健康医療、観光の分野で飛躍的に拡大しています。

イスラエル企業が、両国の共通する価値観、また中国とイランの新しい軍事および貿易パートナーシップに関する懸念から、中国よりも日本とのビジネスを好むことは、言及に値します。

日本とイスラエルは、他にも共通の敵に直面しています。北朝鮮です。北朝鮮が日本人を拉致し、その領空を越えてミサイルを発射する犯罪は広く知られていますが、北朝鮮は何十年もの間、さまざまな方法でイスラエルに敵対してきました。

菅政権は、イスラエルに対する見方を再検討し、進行中の不安定な地政学的状況を考慮する必要があります。たとえば、日本の外交官は、イスラエルが領土の一部として扱うゴラン高原を、紛争地域ではなく、シリアのアサド大統領が所有する土地として扱い続けるべきなのでしょうか。

日本の外交官が国連人権理事会で、イスラエルが、国際的に認められた境界線を、自国の平和なコミュニティを狙うテロ攻撃から守ろうとするのを糾弾することは、正しいのでしょうか?

日本の外務省も、竹島/独島を巡って韓国と、尖閣諸島/釣魚島をめぐって中国と、北方領土/南千島列島を巡ってロシアとなど、主張が重複する自国の領土と海域も含み、侵されてはならない権利の正当性を信じているではないですか。

日本の指導者たちは、中国とロシアの爆撃機による領空への頻繁な侵入や、沖縄海域への中国の潜水艦の侵入についても、当然のことながら懸念しています。

その他に焦点を当てるべき問題は、この地域における外務省の援助政策です。

日本政府が何十年にもわたり中東に寛大な援助を行ってきたことは称賛されるべきです。最新の援助提供は、国連難民救済事業機関(UNRWA)への2,240万米ドル(約24億円)でした。しかしそれらの援助金が、問題の多いプログラムにも流用されているのです。

これらの援助の一部は多くの場合、ハマスが統率する‶教育者"が殉教(つまりテロリズム)を称賛し、社会の教科書の地図にイスラエルが無いようなカリキュラムでパレスチナの子供たちを教育する組織に、提供されます。

日本の人々は世界の平和を支援し続けるでしょうが、その受益者の中には、ハマスのような彼らの価値観を共有しない者もいることを、認識しなければなりません。

新政権が中東における新しい進路を切り開こうとする今、菅首相は、外務省のイスラエルへのアプローチを変えることで、近年の画期的な成果をさらに発展させることができます。外務省のイスラエル政策のリセットが行われなかった場合、日本人とユダヤ人を近づけた安倍首相の歴史的業績で得られたものが、失われてしまう危険があります。

日本に新しい指導者が誕生した今は、イスラエルとその近隣諸国に対しより実用的で公平なアプローチを採用するよう、外務省を新しい方向に導く絶好の機会です。

 

*エブラハム・クーパー師はサイモン・ウィーゼンタール・センター副館長
徳留絹枝は「ユダヤ人と日本  Jews and Japan (@JewsandJapan) 」の管理者
テッド・ゴーヴァ―はカリフォルニア州クレアモント大学院大学で教鞭を
とり、サイモン・ウィーゼンタール・センターのアドバイザー

オリジナルはAsia Times に掲載