行動の人ダニー・ハキム: 「Budo for Peace」 の20年

徳留絹枝

ダニー・ハキム OAM(オーストラリア勲章受賞者)は、私が彼と友人になって以来その行動力と情熱にいつも感動し、時には一緒に活動してきた仲間です。

ダニーは先日も、8月23日から27日までハンガリーで開催された第14回SKIF(國際松濤館空手道連盟) 世界空手道選手権大会にイスラエル代表団の一員として参加したことを、写真と共に知らせてくれました。(ダニーは松濤館空手七段)

この機会に、オーストラリアで生まれ、若い時代は日本で空手の研鑽に励み、現在はイスラエルで活動する彼のこれまでの活動をまとめてみました。

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ダニーは1983年、東京代々木競技場で開催された第1 回SKIF世界空手道選手権大会に、オーストラリアチームの一員として出場、団体で銅メダルを獲得しました。

國際松濤館空手道連盟 金澤弘和 宗家・最高師範(十段)との出会いはダニーの人生を決定づけ、その後中東の平和を促進するため、恩師である金澤最高師範から学んだ教訓と価値観を実践する40年の軌跡に繋がりました。

金澤弘和 国際松濤館空手道連盟 宗家最高師範・ダニー・金澤伸明國際松濤館館長

2003年11月、ダニーは「平和のための武道」というコンセプトを提案し、日本文部省主催の「第1 回国際武道文化シンポジウム」で発表しました。

京都の国際日本文化研究センターで行われたシンポジウムのテーマは 「21世紀の日本武道の行方: 過去・現在・未来」というものでした。

ダニーは、 「武道の教え: イスラエル・パレスチナ対立の壁を乗り越える」と題して発表しました。

2004年、ダニーは日本政府の「草の根平和構築活動促進プログラム」の助成金を得て、非営利団体BFP「Budo for Peace(平和のための武道)」を設立しました。

2006年、BFPは東京代々木オリンピック競技場で開催された第6回SKIF世界空手道選手権大会に、イスラエルとパレスチナのBFPユースチームを合同で出場させ、開会式のセレモニーで、平和の特別型を披露しました。


2008年在イスラエル日本大使館で開かれたレセプションでのダニーと
金澤弘和 宗家(2006年BFPユースチームの東京での演舞動画を含む)

BFPは20年近くにわたり、異なる地域社会の若者の間に調和をプロモートしながら、何千人ものイスラエルとパレスチナの青少年に、武道の価値観である寛容、自制心、自己啓発を教えてきました。これらの共同イベントやトレーニングキャンプは、歴代駐イスラエル日本大使の支援を受けてきました。

2010年、金澤弘和 宗家と彼のご子息金澤信明氏は、通称 “砂漠のチャンピオン” として知られるBFPのアラブ・ベドウィン空手クラブを初めて訪れました。

2016年、ダニーは「Kids Kicking Cancer」の公式イスラエル支部を設立し、空手・柔道・合気道・カンフー・テコンドーのインストラクターたちに、がんと闘う子どもたちに力を与え、痛みを克服する武道テクニックを教えました。

 

 

2018年、BFPはモナコ公国アルベール2世公殿下と「平和とスポーツ」組織から、シリアとアフガニスタン難民を対象とした活動で、その年の最優秀地域NGO賞を受賞しました。

 2020年開催予定だった東京オリンピックに際しては、日本の最大の文化輸出品である武道文化が、中東のような紛争地域であっても平和に貢献できることを世界に示すため、BFPは平和の型を披露することを計画していました。しかし残念なことにコロナが発生したため、すべての演武が中止となりました。

中山泰秀衆議院議員の紹介で橋本聖子オリンピック・パラリンピック大臣と面会

BFPは2019年、12のスポーツ団体を招待し、イスラエルで初の「スポーツと平和の国際デー」を開催しました。参加したのは、サッカー・バスケットボール・テニス・キャッチボール・空手・カポエイラ・フリスビー・カヤックなどの団体です。


「スポーツと平和の国際デー」で挨拶する駐イスラエルオーストラリア大使

このイベントの成功とこれらの団体間の協力関係は、「社会改革のためのスポーツ連合」の創設へと発展しました。それは、イスラエル全土 384ヶ所で活動する5万人の青少年アスリートが所属する22の団体に拡大しました。これらの団体は、スポーツを通じて女性のエンパワーメント・特別支援・リスク児・共有社会などを支援し、集団的な影響力を発揮できるよう会員団体間の協力に重点を置いています。

2022年1月、ダニーはオーストラリア政府からBudo for Peaceや「平和とスポーツ」での活動が認められ、国際社会への貢献者に贈られる Order of Australia を授与されました。


詳細はこの記事で

ダニーは受賞のスピーチで、彼にインスピレーションを与え彼の精神的指導者となった金澤弘和 宗家最高師範に、感謝を捧げました。宗家は2019年12月に逝去。

先ごろハンガリーで開催された第14回SKIF世界空手道選手権大会には、50カ国から1,000人を超える空手家が参加し、金澤弘和 宗家最高師範の生涯と遺産を称えた思い出のビデオを鑑賞しました。

宗家のご子息で元空手世界チャンピオンの金澤信明氏が、300万人の空手家を擁するSKIFの指導者に就任し、父親の遺志を継いで武道の価値を世界に広めています。


金澤信明國際松濤館館長(八段)と夫人と

シオニストが日本から送るメッセージ

ダニー・ハキム

ーー私は40年間イスラエルと日本の間を行き交う中で、私たちのコミュニティ精神が今でも海外の人々を元気づけることを、発見しました。でも、今のイスラエルではどうでしょう?ーー

2023年3月3日は、イスラエルと日本にとって歴史的な日でした。テルアビブからEL ALの初の直行便が東京に降り立ったのです。私はその便に乗り、4日後には、初の東京発直行便でイスラエルに帰ってくるという特権に恵まれました。

故郷のシドニーから初めて日本を訪れて以来、私は40年もの間、この便のウェイティングリストに載っていたと言えるかもしれません。

人生を変えた1983年の旅
1983年のたった一回の日本への旅が、その後40年にわたる私の人生の方向を変えました。私は24歳で、誠実なイスラエル人女性を見つけ、イスラエルで自分の人生をスタートさせたいと思い、ユダヤ人の故国イスラエルへ向かう途中でした。

8歳の時にオーストラリアのシドニーでベタール青年運動に参加した私にとって、その後の人生が、私が師と仰ぐ故ゼブ・ヤボティンスキーの教えに従ったものとなることは明確でした。

しかし、この日本への寄り道が、単なる寄り道ではなくなってしまったのです。空手の黒帯に合格し、オーストラリア代表として空手世界選手権に出場することが決まってからの6年間、私は精神的な準備と肉体的なトレーニングを積み重ねてきました。

私の目標と予定ははっきりしていました。空手の大会に3日間参加し、日本で5日間観光した後、ロンドンに移動し、EL ALの最初の便でテルアビブに向かうというものでした。しかし、諺にもあるように、 一寸先のことは分からなかったのです。

3日間の空手大会の他は、何一つ私の計画通りには進みませんでした。その結果、私の日本への生涯の愛着が生まれ、私のその後の人生の10年間が思いもよらない形で幕を開けたのです。私は日本に留まり、ジャボティンスキーと同じほど尊敬できる日本の師匠のもとで、空手と合気道の修行をし、自分自身と他者との平和を実現する内なる力を得るため、日々厳しい心身の鍛錬に取り組むことを決意しました。

日本に住むようになった私は、イスラエルへの観光を推進しようと思い立ちましたが、テロが続き、直行便がなかったこともあり、簡単にはいきませんでした。またほとんどの日本人はイスラエルについてあまり知らず、あるのは、イランやイラクと同じように「I」で始まる国、砂漠の中にある国、ニュースで戦争の映像が流れる国というイメージでした。

キブツを宣伝して認識を変える
私は、イスラエルのイメージをテロリストの地から観光地へと変えようと決意し、勇気と反骨精神を持つ日本の若者に、イスラエルのキブツ(農業共同体)でのボランティア活動をアピールすることにしました。この教育的ワーキングホリデーは、安全な環境で、オレンジ畑の中でのびのびと過ごし、ヨーロッパ人と出会い英語を学ぶ機会を与え、新しく異なる世界を見ることを可能にするはずでした。

素朴なマーケティング計画
私の日本でのマーケティング計画は、それほど洗練されたものではありませんでした。イスラエルの若い開拓者たちが果物を摘み、フォークダンスを踊っているパンフレットを手に、私は原宿公園(東京の若いパンクダンサーたちがよく集まる場所)にブースを構えました。最大ボリュームのロックンロールを流すブースが並ぶ中、私は無邪気にスピーカーを設置し、「マイムマイム」という曲を流したのです。

驚いたことに、数分後には、あらゆる年齢の日本人が集まってきて手をつなぎ、この古典的なイスラエル民謡に合わせて踊り、歌いだしたではありませんか。日本人は、普通手をつないだり触れ合ったりすることはないので、これは驚きでした。しかし、私の目の前で、老若男女の日本人が「マイムマイム」の歌詞を歌いながら、そのステップで踊っていたのです。しかし彼らは、それがヘブライ語であることも、イスラエルの踊りであることも知りませんでした。そのことだけは彼らに伝わっていなかったようでした。

日本における「マイム・マイム」現象
もともとイスラエルの民族舞踊「マイムマイム」は、開拓者社会が繁栄し、共に国土を築くことを祝うために生まれたもので、新しい国家の建設という共同作業の中で、人々を結びつけ、希望を与え、一体感や共同体の願望をたっぷり表現するために作られました。手をつなぎ、希望に満ちた気持ちで一緒に歌うことは、平等と連帯という新しいシオニズムのイデオロギーを象徴していました。それは、互いに触れ合い、互いを意識して、一緒に動くことを必要としていたのです。

1950年代から、アメリカ連合国軍は日本の教育にフォークダンスを導入し、ほとんどの日本人が体育授業の一環としてフォークダンスを踊るようになりました。1958年、アメリカのダンスのパイオニア、リック・ホールデンがイスラエルで学んだ「マイムマイム」を日本の小学校に紹介し、それは一気に浸透していきました。

以来、「マイムマイム」はテレビ番組やアニメ、映画で取り上げられ、現在でも日本の学校で教えられています。

そしてそれから40年、私は2回目の直行便で、イスラエルのオリンピック・マラソン選手ビーティー・ドゥイッチさんと一緒に東京にやってきました。彼女が走り終わった後、皇居外苑で私が喜びのフォーク・フラッシュダンス「マイムマイム」を踊り出すと、何十人どころか、何百人もの日本人が私と一緒に踊ってくれたのです。

「マイムマイム」 は日本への最もクールな輸出品
イスラエルの日本への最も影響力ある輸出品のひとつが、フォークダンスに象徴されるコミュニティ・スピリットだったとは、誰が想像できたでしょう?

危機に瀕する国家
悲しいことに現在のイスラエルは、世界に対して正反対の文化と顔を見せています。互いに歩調を合わせ、一致団結して歌う国ではなく、今、私たちは歴史上最大の政治的衝突に直面しています。昔のような調和、一体感はどこにいったのでしょう。 すべてのユダヤ人は王子であり、寛容で公正な人間でなければならないと語ったジャボティンスキーの広い心はどこにいったのでしょう。アルタレナの後、怒りを克服して内戦を回避したメナハム・ベギンが大切にしたユダヤ人の団結の大切さはどこにいったのでしょう。私たちが共有するトーラーが教える開拓者精神、起業家精神、寛容の宗教精神はどこにいってしまったのでしょう。

40年間イスラエルと日本の間を行き交い、この瞬間を夢見てきた私は、日本のような国で、私たちのコミュニティ精神の本質を感じることができることに感動します。このような瞬間こそが、私の理想主義を支えてくれているのです。25年前、安全で民主的なオーストラリアから、ユダヤ人で民主的な国という歴史的なシオニストのプロジェクトに参加するため、私をイスラエルに向かわせたのも同じ理想主義でした。

今日、ヘルツォグ大統領と将来の国の地位について交渉しているリーダーたちが、共にイスラエル建国の父と母の精神を振り返り、異なる信念を持つ人々が手をつなぎ、輪になって一緒に「マイムマイム」を歌い踊ることを恐れなかった日々を思い出すことを、私は願い祈ります。

統一と平和への希望
過越祭、ラマダン、復活祭を祝うとき、汝の隣人を汝自身のように愛することの大切さと、平和、自由、そして他人への尊敬(神は私たち全員をご自分のかたちに創造されたのですから)という普遍的なメッセージに、私たちが気づかされますように。

ABOUT THE AUTHOR

Danny Hakim OAM is a 2 times world karate silver medalist and holds a 7th-degree black belt from Japan. He is the founder of Budo for Peace and chairman of Sport for Social Change. He is a board member of The Azrieli Foundation, MWU (Maccabi World Union), ALLMEP (the Alliance of Middle East Peace), and Kids Kicking Cancer. In 2017 he was inducted into the Australian Maccabi Hall of Fame, and in 2019 was the recipient of the Bonei Zion Award for Culture, Art, and Sport. In January 2022, he was awarded the Order of Australia Medal for service to the international community.

オリジナルは The Times of Israel に4月5日掲載

 

Dreams Never Dreamed

 

この本は、昨年エルサレムに訪問しインタビューさせて頂いたカルマン・サミュエルズ師が、世界最大級の障がい児施設 Shalva を開設するまでの体験を綴った著書です。

以下は、昨年インタビューを基に書いた記事

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障がい児施設 Shalva を訪ねて

徳留絹枝

今年5月、テルアビブで開催された国際歌謡コンテスト「ユーロビジョン」で、障がいを持つ若者で構成された Shalva Band が世界中の人々を感激させた。(コンテストを勝ち抜いていたが、リハーサルが安息日にかかり辞退。セミファイナルに特別出演した。)

Shalva Band は、エルサレムにある障がい児施設 Shalva のミュージックセラピーの一環として結成された。今ではイスラエル国内はもちろん、世界の場で演奏する人気グループに成長した。Shalvaは、ヘブライ語で「心の平安」を意味する。

1990年、たった6人の障がい児のためにスタートした Shalva は、今や、知的・身体障がいを持つゼロ歳児から成人まで二千人に、多岐にわたるサービスを提供する世界最大の施設になった。親を対象としたプログラムもあり、障がいを持って生まれた子供の育児に戸惑う親に希望を与えることを目指す。幼稚園プログラムは、教育者・ソーシャルワーカー・セラピストが一緒に作り上げるクラスで、健常児との交流もある。学童児の放課後リハビリ・レクリエーションクラスは、スポーツ・ドラマ・アート・音楽・水泳など、施設内のコートやプールを利用してのプログラムだ。そして青少年に達した者には、調理師などへの職業訓練を提供する。(訪問時に私がお茶を頂いた喫茶店でも卒業生が働いていた。)各種セラピーは、最新の学術的成果を取り入れた内容で、研究者にとってもフィールドワークの場になっているという。

Shalva 設立者のカルマン・サミュエルズ師にお話しを伺った。

私はカナダのバンクーバーで生まれました。ユダヤ系ですが、宗教はそれほど身近に感じずに育ちました。1970年、大学1年を終えた段階で、フランスで哲学を学ぶために留学することになりました。途中イスラエルに寄ってみてはという母の勧めで、夏休みの2週間をイスラエルで過ごすことにしました。そして私はフランスへは行かず、それどころかカナダにも帰らなかったんです。イスラエル滞在中に訪れたキブツやそこで出会ったラビに大きな影響を受け、結局7年間イスラエルで学び、ラビになりました。その間妻となる女性と出会い、結婚しました。

私たちの二人めの子供のヨシは、11カ月の時に受けた予防接種に問題があり、視力と聴力を完全に失ってしまいました。知人の多くが、施設に預けてはと助言してくれましたが、妻と私はこの子を自宅で世話すると決心しました。

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