Our People: 被害者も加害者も私たちと同じ人間だった

2年前エルサレムに旅した時、イスラエルの国立ホロコースト記念博物館「ヤドヴァシェム」を案内してくれたのは、サイモン・ウィーゼンタール・センターのエルサレム所長エフレム・ズーロフ氏でした。ニューヨーク出身の彼のルーツは、かつてその首都が「北のエルサレム」と呼ばれたほどユダヤ教の教えと文化が栄えたリトアニアのラビの家系で、彼の名前もホロコーストで殺害された大叔父の名前を貰ったものだそうです。

ヘブライ大学で学んだ後イスラエルに移住したズーロフ氏は、1978年に初めてサイモン・ウィーゼンタール氏に会い、この著名なナチハンターの後継者として今日まで働いてきました。

ズーロフ氏がサインしてくれた彼の著書『Operation Last Chance』には、これまで24か国で520人以上のナチ戦犯を探し出し、それらの何人かがドイツの法廷で裁かれたなどの、活動記録が綴られています。ナチ戦犯が潜む多くの国が非協力的だったこともあり、彼の活動は困難なものでした。

アマゾン:https://www.amazon.com/Operation-Last-Chance-Criminals-Justice/dp/0230108059

ズーロフ氏は数年前、リトアニアの女性作家ルータ・ヴァナガイタさんと一緒に、22万人(当時のユダヤ人口の95%)のユダヤ人が殺害されたリトアニア国内の跡地を訪ね歩きました。自分自身の家族も含めて多くのリトアニア人が殺戮に加担したことを知ったヴァナガイタさんは2016年、『Our People:  Travels With the Enemy 』という著書を出版しました。当初はベストセラーになったものの、その後国内で非難の声が大きくなり、以前は国民的人気作家だったヴァナガイタさんですが、現在は孤立しているそうです。

先ごろヘブライ語版が出版されたそうで、イスラエルの新聞『Haaretz』にズーロフ氏とヴァナガイタさんがビデオで紹介されたことを、ズーロフ氏が知らせてくれました。ヘブライ語が分からない私のために英語訳も送ってくれましたので、それを日本語に訳しました。

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EZ:これまで40年間世界中のナチ戦犯を追いかけてきましたが、今回は私個人にとっても大切なプロジェクトとなりました。私の祖父も祖母もリトアニアで生まれました。私は、ホロコースト時のリトアニアユダヤ人の運命が決して忘れ去られることがないようにしたかったのです。

RV: 私はホロコーストについてほとんど何も知りませんでした。ユダヤ人の友人も先生もいませんでしたから。でも、私自身の親類の何人かも間接的にであれ殺戮に加担していたことを知り、きっと多くの人々の家族も関わったに違いないと思いました。

EZ: 人々は最近ポーランドで成立した法律のことばかり語りますが、すぐ隣国のリトアニアには、ホロコーストのさなか国を挙げて殺戮したユダヤ人の終焉の場所がいたるところにあります。

RV: 本を書こうと決めたとき、まずタイトルを思いつきました。『Our People』です。私たちリトアニア人にとって、被害者はユダヤ人ですから「私たち」ではありませんでした。そして加害者も殺人者ですから「わたしたち」ではなかったのです。私が目指したのは、どちらも人間だったということを描くことでした。これまでホロコーストの歴史に関して多くの本が書かれてきましたが、被害者数などが強調されていたと思います。私は、彼らが人間だったこと、そして殺人者も人間だったことを人々に知って欲しいと思いました。

EZ: 私たちは国中を旅して、当時8歳、10歳、12歳、16歳だった子供の目撃者にインタビューしました。彼らは殺戮を見ていたのです。ユダヤ人がどのようにして家から引きずり出され、地面に掘られた穴の前に連れていかれて射殺されたかを、見ていたのです。

RV: どうして自分の国でこんなことが起こったのか…。でも一度起こったことはまた起こり得ます。私たち全員が「人間、Our People』」なのですから。

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追記:お二人の著書は2022年4月に日本語訳が出ました。
『同胞: リトアニアのホロコースト 伏せられた歴史』

反ユダヤ主義(15年前の記事から)

ここ数年、「反ユダヤ主義の蔓延は第二次大戦以来最悪だ」とする声が欧米のメディアで聞かれるようになり、それを裏付ける事件も多発しています。

ユダヤ人と接する機会が少ない日本でも、根拠のない反ユダヤ主義的言論がこれまで無かったとは言えません。それらは概して、日本人が「ユダヤ人陰謀説」に魅せられやすいという傾向と無関係ではなかったと思います。

9・11の連続テロ多発事件の後の日本では、アメリカでネオコンと呼ばれたグループとユダヤ人を結びつける論評が多くみられました。

当時そのことに違和感を持った私は、数人の著名なユダヤ人の支援を得て、記事を書いたことがありました。もう15年以上前の内容ですが、国連の反イスラエル姿勢など、その後も全く解決されていません。また、これらのユダヤ人指導者たちが、一日本人の質問に誠意をもって答えてくれたことに、改めて感激します。

これからも機会を見つけて、ユダヤ人やイスラエルへの理解促進にささやかでも貢献していきたいと思います。

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再び杉原領事について

1997年、私はホロコーストの歴史を伝える人々へのインタビューをまとめた『忘れない勇気』という本を出版しました。その中には、杉原領事のビザで救われたリオ・メラメド氏や杉原領事の伝記を書いたヒレル・レビン教授へのインタビューも含まれていました。

翌年、それを読んだ月刊『論座』の当時の清水建宇編集長から、杉原ビザの意味について記事を書いてみませんかと誘いを受け、私の思いも込めた記事を書きました。20年近く前の記事を久しぶりに取り出して読んでみようと思ったのは、最近二つのニュースに感じることがあったからです。

一つは、今年のHolocaust Remembrance Day(アウシュビッツが解放された1月27日)に、インターネット上で行われた「We Remember」というキャンペーンに、日本政府が投稿したことです。

January 27 is . Chiune Sugihara was a Japanese diplomat during WW2 who saved the lives of thousands of Jews by writing visas for fleeing families. Today, several museums in Japan preserve their stories. Learn more:

リンクされた日本政府のサイトは、日本国内にある杉原氏関連の3つの博物館を紹介し、こう結んでいます。

These museums and the stories they tell call young and old alike, in Japan and from abroad, to reflect deeply and work with courage and kindness for a peaceful, more humane world.

杉原氏の偉業を広く世界の人々に知らせる機会になったと、嬉しく思いました。

しかし数日後、現在のリトアニアで起きているある出来事に関するニュースを読み、深く考えさせられてしまいました。それは、リトアニアがホロコーストの共謀者であったという歴史を書いたリトアニアの女性作家ルータ・ヴァナガイタさんが、国内で非難され孤立しているという内容でした。

イスラエル紙『ハアレッツ』に掲載されたルータさんに関する記事:https://www.haaretz.com/world-news/europe/lithuanian-writer-refuses-to-stay-silent-on-country-s-part-in-shoah-1.5786267

この記事によると、ルータさんは、サイモン・ウィーゼンタール・センターのエルサレム所長で、自分自身もリトアニアで殺害された大叔父を持つエフレム・ズーロフ氏と、リトアニア国内の40か所のユダヤ人殺戮現場を訪ね歩き、それを目撃した地元の老人たちの証言を聞いたそうです。そして公文書館でのリサーチで、彼女自身の叔父や祖父も、ユダヤ人殺戮に関わっていたことを発見します。ナチスとの共謀は、一部の暴徒だけではなく、リトアニア政府関係者や軍なども関わった大掛かりなものだったとルータさんは書きました。

2016年に出版された 『Our People: Travels With the Enemy』は瞬く間にベストセラーになりましたが、年配の人々や保守的なグループからは激しく非難されました。さらに昨年には、ルータさんが、ソ連軍に抵抗してリトアニアの英雄とされている人物が実際はそうでなかった疑いがあると言及したことを発端に、彼女の著書は出版社によって全て書店から引き上げられ、著名な政治家が彼女に自殺を勧めているともとれる意見記事を書くほどの事態になりました。ホロコーストの歴史と真摯に向き合う努力をしてきた西欧の国々に比べて、東欧の国々は未だにホロコースト時の自国の歴史を完全に受け入れていないと、ルータさんは感じています。インターネット上でも彼女への脅迫が続き、外出もままならないそうですが、それでも彼女は、歴史の真実を語り続けると宣言しています。

杉原ビザとの関連でリトアニアの国名を聞くこと が多い日本では、この国で起きた悲劇についてあまり知られていないように思います。

14世紀からユダヤ人が住み始めたリトアニアには100以上のシナゴーグがあり、首都ウィルナスは「北のエルサレム」と呼ばれるほど、ユダヤ文化が花開いた地でした。しかし杉原氏がリトアニアを去った翌年の1941年、ナチスが侵攻し、国内のユダヤ人の95%にあたる22万人が殺害されます。そして多くのリトアニア人がそれに加担しました。

ワシントンにあるホロコースト記念博物館の中でも、3階まで吹き抜けの壁に夥しい数の写真が貼り付けられた Tower of Faces  は感動的な展示です。それらはリトアニアにあったユダヤ人の小さな町の平和な日常を伝えるもので、ポートレート、家族の集まり、友人との語らい、卒業写真など、私たちの家族アルバムに貼られた写真と変わりません。この町は、ナチスの銃殺部隊が住人4千人全員をたった2日間で殺害したとき、数百年の歴史に終わりを告げました。

「死」ではなく「生」を展示することで、ホロコーストによって失われたものの深い意味と、そこから見学者が得るべき教訓を問いかけているようです。

20年前の記事で、私は、杉原ビザについてインタビューした人々のことをこう書いていました。「杉原氏の遺産を受け継ぐということは、自分たちの中にいる“杉原”を常に探し続けることなのだと、これらの人々は気づいている。」

そして、ルータさんがしようとしたことも、まさにそれではなかったのかと思えてきたのです。

私たち日本人も「杉原を誇りに思う」で立ち止まっていては、彼の遺産を真の意味で受け継いでいるとは言えないと思います。

ホロコーストに関する本を書いた後、私自身は18年間、旧日本軍捕虜だった米兵の問題に取り組んできましたが、今は黄ばんでしまった古い記事を読みながら、その歳月の間も、自分が杉原氏からインスピレーションを得ていたことを改めて感じています。

『論座』1998年9月号掲載記事

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ユダヤ人の歴史

1984年、4歳と3歳の子供を育てながらシカゴの大学に通っていた頃、公共テレビ PBSが放映した「Heritage: Civilization and the Jews」という9時間のドキュメンタリーを観たことがあります。聖書の時代から中世、近代、そしてホロコーストの悲劇を経てイスラエル建国に至るユダヤ人の歴史が、同時に人類全体の文明にどのような影響を与えたのかを、豊富な写真や興味深い資料で織りなした一大絵巻とも言うべき内容でした。シリーズを通して語り部を演じたのは、建国間もないイスラエルの国連大使、駐米大使、後に教育文化大臣、外務大臣を務めたアバ・イバン氏で、ケンブリッジ大学卒の学者であった彼の語り口は、簡潔で分かりやすい英語でありながら、格調の高いものでした。

このシリーズは当時5千万人以上が観たとされ、エミー賞やピーボディ賞などを受けました。私自身も深く印象付けられ、コンパニオンブックとして出た同名の著書を買い、折に触れて読んだものです。

その後10年ほどしてロサンゼルスに引っ越し、その地のユダヤ人指導者の数人と親しくなりました。その中の一人で、日露戦争時、日本に資金援助をしたジェーコブ・シフなどが設立した歴史あるユダヤ人団体 American Jewish Committee の西部地区代表ニール・サンドバーグ博士と、このドキュメンタリーの話をしたことがあります。そしてサンドバーグ博士が、日本人のユダヤ人理解を助けたいと、このドキュメンタリーをNHKで放映して貰うためにずいぶん努力したが結局実現しなかったことを、知りました。反ユダヤ的本がベストセラーになり、ホロコースト否定の記事さえ出る日本でこそ、このドキュメンタリーが放映されて欲しいと思っていた私も、その話を聞いてがっかりしたことを覚えています。

それからさらに20年以上が過ぎ、 「Heritage: Civilization and the Jews」の幾つかの編は、Youtube で観られます。(以下は第1話)

 

つい最近では、サイモン・ウィーゼンタール・センターがユネスコと共同で制作したパネル展示「「民、聖書、その発祥の地:ユダヤ人と聖地の3500年にわたる繋がり 」が、東京で開かれました。着任したばかりのイスラエル大使ヤッファ・ベンアリ氏や松浦晃一郎 元ユネスコ事務局長、数人の国会議員も挨拶し、日本とイスラエルの間の理解を深めるこのような教育啓蒙活動の大切さを訴えました。

          
ヤッファ・ベンアリ大使      松浦氏・中山泰秀議員・クーパー師

特筆すべきは、この展示もPBS のドキュメンタリーも、イスラム教の誕生、それがやがて中東全域・北アフリカまで広まり豊かな文化を生み出したこと、その間ユダヤ人が身分は劣位であっても自らの宗教に従って生きることを許されていた歴史を、正確に伝えていることです。

一方、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長はつい先ごろ、中央委員会の演説で、「イスラエルは植民地プロジェクトであり、ユダヤ人とは何の関係もない」と宣言しました。それ以前にも、パレスチナは国連やユネスコに、ユダヤ人と聖地エルサレムの歴史的繋がりを否定し、イスラエル国家の正当性に挑戦する決議案を通させることに、成功しています。これらの決議案の幾つかに日本も賛成票を投じていることが、残念です。

パレスチナ側がイスラエル国家の存在を認めていないこと、ガザを統治するハマスがイスラエルの壊滅を目指す憲章を掲げていることも、日本ではあまり知られていません。

日本政府は最近、和平交渉の仲介役になる用意があることを表明しましたが、古代からの長い歴史と、イスラエル建国後の近代の歴史を正確に踏まえ、誠意ある建設的な役割を果たしてほしいと願います。