”コーシャ”という言葉を初めて聞いたのは、アメリカに行って間もなく、大学に行き始めた時でした。授業の英語についていくのもおぼつかない頃、誰かがクラスで「Everything is Kosher」と言ったのです。前後の文脈から「全て問題ないよ。」というような意味と理解したのですが、コーシャの本当の意味を知るのはずっと後になってからでした。
その後何年もして、ホロコーストに関するインタビュー集『忘れない勇気』を書く過程で、多くのユダヤ人と親しくなりました。彼らの全員ではありませんでしたが、オーソドックスと呼ばれる人々は、ユダヤ教の決まりを厳格に守り、食事にも多くの制限があることを知りました。食材の種類だけでなく、料理に使う器具も、料理法も全てコーシャでなければならないと聞いて、驚いたのを覚えています。
1997年に本が出版された後、それを支援してくれたサイモン・ウィーゼンタール・センター副所長のエブラハム・クーパー師が日本に来てくれましたが、当時は東京に厳格にコーシャを守るレストランが無くて、彼は食べ物持参の来日でした。今は、高輪に純粋なコーシャレストランChana’s Placeがあるので、クーパー師と安心して食事ができます。
私は3年前に生まれ故郷の仙台に戻ってきましたが、何とそこに、コーシャフードについて大変詳しく、日本の食品会社にコーシャ認定の取り方をアドバイスしている人物がいたのです。(株)ヤマミズラ の門傳章弘社長です。会社のホームページには、コーシャフードについて、大変分かり易い説明が掲載されています。
コーシャ食品をご存知ですか?
コーシャとはもともとは、紀元前の旧約聖書の教えに即した、カシュルートと呼ばれる厳格な「食事規定」がその語源。「コーシャ」とはこの食事規定で「食べて良い食物」のことを意味します。製品の原材料から製造過程まで厳しくチェックされるコーシャ。その判断基準が細かく厳格がゆえに、品質の安全性に信頼が出来るのです。
食べていけない肉類の条件は?
コーシャで食べて良い肉類は、基本的に草食動物であり且つ反芻動物(胃を二つ以上持つ動物)であることが条件になります。(牛、羊・・・・○ 豚、ウサギ・・・・×)さらに、完全に血抜きされた一定の食肉処理を施された肉のみ食することが出来ます。肉の血液は悪い菌を体内に運ぶと言われており、衛生上理にかなった規定といえます。
海や川・湖に住む生き物で、ヒレやウロコのあるものは食べても良いとされていますが、エビや蟹などの甲殻類貝類・たこ・イカなどは食べられません。ウロコが目立たないウナギも食べられません。
コーシャってどうしてそんなに厳しいの?
牛肉と乳製品の”食べ合わせ”を禁じたり、動物性油を禁じたり調理器具や製造過程にも厳しい規定があります。それは厳しい砂漠地帯を生き抜く民族の知恵だったのかもしれません。現代の食生活にも誠実に古の知恵を守るコーシャだからこそ衛生的で、健康的な食品として世界から信頼を得ているのです。
どのような製品がコーシャ認定を必要とするの?
コーシャはあらゆる分野で必要とされています。
・食品全般とその他の関連品
(魚、スナック、オーブン料理など)
・食品工場での原材料
(全ての食用油、大豆に由来する全ての商品、着色料を含む食品など)
・製薬、医療関係
(ビタミン剤、ホメオパシー薬、薬局販売の医療品など)
・ベビーフード関係
(ミルク代用品など)
・化粧品など
・衛生用品、洗剤、掃除用品
認定団体に関しても、詳しい説明があります。
食品がコーシャであると認定する団体は世界に何百もありますが、[OU(Orthodox Union=ニューヨーク本部)]、[OK(Organized Kashrut=ニューヨーク本部)]、[KLBD(Kosher London Beth Din=ロンドン本部)]の3団体が質・規模ともにコーシャ認証で最も権威のある団体です。
この3団体はSuper Kosherと呼ばれ、古くから伝統とルールを守り、清潔、安全、衛生的というコーシャの概念を常に追求しており、認証に携わるラビ(宗教指導者)は化学、薬品、食品などの各分野でのエキスパートです。またこれらの団体では膨大な原材料データをもとに何百人というスタッフが世界中で活躍しています。
ヤマミズラ社はOUとKLBDの日本代理店として、日本の食品会社にコーシャ認定に関するアドバイスをしています。世界の多くの有名食品会社が自社製品にコーシャ認定を受けていますが、最近は日本でも、酒造会社などが積極的に認定を受けるようになってきたそうです。
ヤマミズラ社のカタログから
門傳社長は、歴代のイスラエル大使やヘブライ大学関係者とも親しく、食の文化を通して、日本人とユダヤ人、そしてイスラエルとの交流が深まることを願っているそうです。
門傳社長に、お話を伺いました。
どのような経緯からユダヤ人やイスラエルと付き合うことになったのですか?
70年代に、日本ユダヤ教団でラビを務めておられたマーヴィン・トケイヤー師に出会ったのが、きっかけです。師は、日本の文化や神社などにも大変関心を持たれていて、一緒にいろいろ勉強しました。その後、ヘブライ大学のベン=アミー・シロニー教授も紹介して頂き、仙台周辺の温泉にご案内したりしました。ヘブライ大学から日本研究者が来日した時は、講演をアレンジするお手伝いもしました。
最初はビジネスの関係ではなかったのですね。
違います。日本でアインシュタイン展を開く手伝いをしたりするうちに、イスラエルに信頼できる知り合いが増え、私も信頼して貰えて、それが今のビジネスに結びび着きました。でも、日本とイスラエルの友好に貢献したいという思いは変わらず、今でも、ヘブライ大学で日本語を学ぶ大学生を日本に呼ぶ奨学金を出しています。昨年は、アラブ系イスラエル人学生とユダヤ系イスラエル人学生一人ずつに、奨学金を出しました。
素晴らしいですね。それらの若者がきっと将来、日本とイスラエルの間の友好と理解を深めてくれるでしょう。有難うございました。
エルサレムストーンを埋め込んだヤマミズラ社の応接室で