キング牧師とイスラエル

キング牧師: 非暴力と正義の勝者そしてイスラエルの友

 

エブラハム・クーパー
サイモン・ウィーゼンタール・センター副館長(グローバル活動責任者)

50年前の1968年4月4日、悲劇的に亡くなったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、非暴力を通して社会に歴史的変化をもたら​すという、​真のリーダーシップの​在り方を見せた人でした​​。もし彼がもう少し長く生きていたなら、そして、もし彼のようなリーダーがもっといたなら、私たちの世界はもっと素晴らしい場所になっていたことでしょう。

私たちにとって、キング牧師は、何百年もの間アフリカ系アメリカ人に向けられた不義な差別に対して平和的な抗議で立ち向かった英雄でした。彼は、二流市民というレッテルと奴隷制に対して憎悪と暴力をもってではなく、差別をしてくる相手を愛、友情、平等と平和そして正義の心をもって、迎えようとしました。

そして、キング牧師は、銃を撃つことなく、爆弾を爆破させることなく、石ころ1つ投げることなく、アメリカの歴史における奇跡を実現させました。

しかし今、キング牧師が行った非暴力の抗議とは反対の“平和の抗議”が、ガザ地区で行われています。この抗議は、200万人以上のパレスチナ人たちを支配し、アメリカ・イスラエル・ユダヤ人に憎しみと憎悪を向けているテロリストグループ、ハマスのメンバーによって行われています。

ビデオでは、この抗議のリーダーが「パレスチナ人は血と殉教者と女と子どもで、自らの地を開放しなければならない。この戦いに、自分たちの体、命、手、すべての力をもって、勝たなければならない」と叫んでいるシーンがうかがえます。

パレスチナ人とその支援者たちの“​帰還​のマーチ”の目的は、世界で唯一のユダヤ人国家であるイスラエルの排除以外の​何もの​でもありません。彼らは、イスラエルの土地に足を踏み入れたことさえない何百万人のパレスチナ人を扇動して、ユダヤ人の国を、アラブ諸国の一国にしようとしているのです。

​いわゆる ​“​帰還​の権利”という名の下では、70年前にイスラエルに自分の先祖が住んでいたと訴えるパレスチナ人は皆、イスラエルに入り、​先祖が住んでいたという​土地の“返還”を求めること​が許されてしまいます。

“平和”と“非暴力”を訴えながら、イスラエルの国境に暴力の火を生み出そうとしているハマスとその支持者のしていることは、キング牧師の非暴力の意志を侮辱するものです。

実際に、イスラエルはガザ地区での抗議で殺された17人のパレスチナ人の内、11人をテロリストとして認定しており、また、自らが行ってきた暴力について虚言を続けているハマスでさえ、殺されたパレスチナ人の内の5人がハマスのメンバーであったことを認めています。

キング牧師は、信仰を心の癒しの源と考えていました。彼はまた、“正義が川のように流れ下り、公正が力強い急流となって流れ落ちる”と語ったアモスなどの預言者たちの言葉を重んじていました。

牧師は、人種と宗教の間の架け橋だけでなく、平和と道徳に基づいた繋がりへの梯子をも作りました。彼にとって、非暴力こそが手段でした。そして、私たちのために自らの命をもってして、歴史の危難の道を歩みました。

またキング牧師は、マハトマ・ガンディーの サティヤーグラハ/非暴力抵抗運動の思想をアメリカ全土に広げていきました。 キング牧師とマハトマ・ガンディーは、私たちの時代において、変化を求めるすべての者に大きな影響を与えています。

牧師は、アメリカの象徴であるだけでなく、ユダヤ人にとっても英雄になりました。彼は、ユダヤ人の権利を訴える他のリーダーよりも先に、ソ連で迫害されているユダヤ人のために声を上げていました。

キング牧師は暗殺の10日前にも、ラビが集う会合にてこのように宣言しています。

「何のためらいなく言いましょう。イスラエルは、民主主義の下で私たちがどんなことができるかを教えてくれる最高の手本になってくれました。砂漠の地も、民主主義と友情のオアシスになることを示してくれたのです。イスラエルのための平和とは安全を意味します。そしてその安全は必ず実現されなければならないのです。」

リンカーン大統領が奴隷解放宣言をした1世紀後の1963年8月28日、キング牧師は、ワシントンのリンカーン記念堂の前で歴史に残るあの“I Have a Dream”のスピーチを行いました。

リンカーン大統領とキング牧師の夢は未だ完全には実現されていません。私たちと将来の世代はキング牧師の姿を胸に刻まなければいけません。ユダヤ人が、預言者として一度も約束の地に足を踏み入れることなくこの世を去ったモーセの姿を胸に刻むように。

キング牧師と同じく、モーセの夢も果たされていません。彼らの夢を追い求めるために、私たちは次の世代に教える必要があります。憎悪ではなく、愛と正義と非暴力の道を歩もうとするリーダーとともに歩む必要があるということを。

(日本語訳:杉中亮星)